2013年9月23日月曜日
被告訴人木梨松嗣弁護士を紹介した可能性の高い被告訴人OKNについて 2013年 8月31日
小林健一は初め10トン平ボディ車でローカルの仕事をしていたと思います。今少し思い出したのですが、金沢市内高柳陸橋の下にある運送会社と関わりのある仕事をしていたかもしれません。北陸通運という会社だったかも、これは別の人のことだったかもしれないですが、専属的に仕事を
やっていたように思います。彼は金沢市場輸送の事務所が西念町にある頃からいましたが、仕事が終わるとすぐに帰宅していたためか、事務所で顔を合わせた記憶というのはほとんどないです。会社の前の道路の向こう側で、話をしたことを記憶しています。
私は昔、昭和57年の9月から12月の年末まで、名古屋市港区でバイク屋の仕事をしていたことがあったのですが、一度客に、まるで白バイのようなバイクに乗ってきた人と話をしたことがありました。正統なバイクマニアという感じで、福島県の出身と言っていたことも印象的に憶えていました。
最初に会った頃の小林健一も正統なバイクマニアという感じで、どこか共通するものを感じていました。まあ、初めの頃は顔を合わす機会が少なく、存在自体を忘れかけた時期もあったかもしれません。会社の他の運転手とはかなり雰囲気が違っていました。育ちは良さそうな感じでした。
初めに聞いたのがいつ頃であったのか思い出せないのですが、言葉を交わすようになったすぐの頃かもしれません。小林健一は、前職が石川県警の交通機動隊員で白バイに乗っていたと話していました。いかにもそういう雰囲気であったので、その頃は疑うこともなかったです。
あれは昭和62年の5月の下旬頃ではと思います。山中温泉のキャッスルバーデンホテルで一泊の慰安会がありました。この時は一人一万円の実費であとは会社が負担するという話ではなかったかと思います。全員ではなかったと思いますが、ほとんどの社員が出席していました。
午後にホテルというか温泉旅館の送迎バスが、中央市場前の北國銀行の前あたりに迎えに来ていました。あまり大型でもないマイクロバスであったと思います。たまたま私はバスの一番後ろの方で小林健一とほぼ並んで座っていたのですが、彼はバスが出発してすぐに飲酒を始めたらしく、
北陸道の片山津インターを降りた頃には、すっかり酔っぱらっていました。それも尋常な酔いかたではなかったのですが、すこぶる陽気で笑い続けながら、多弁になにかを喋っていました。そのようなタイプの酔っぱらいというのは余り見た憶えもなかったので、珍しくもありました。
片山津インターを降りてしばらくした頃には、窓から小便をすると言いだし、あるいは、次に手に持っている袋に小便を入れると言い出したように思います。なにぶん昔のことなので、こまかいことは憶えていませんが、周囲を驚かせ、皆でなだめて大人しくさせようとしていたことは憶えています。
旅館というかホテルに着くと、ほとんどがすぐに大浴場に風呂を入りに行きました。なぜか脱衣所に若い女の子が3,4人いて、それも珍しく、目的や意味がつかみかねていました。その時点でも小林健一の普段と別人のような行動には、疑問と戸惑いが続いていました。
あれほどバスの中で大騒ぎしていた小林健一は、その後ホテルの中で姿を見かけることがありませんでした。その宿泊ではかなりの大きさの大部屋で大人数の布団がひいてあったことを憶えています。まるで修学旅行のような状態でした。とにかくホテルに着いてから小林健一が起きている姿は見なかったと
思います。部屋のなかで爆睡していたような記憶もあるのですが、これも記憶が不鮮明になっています。この慰安会では他の宿泊客との間でケンカ沙汰のようなトラブルもありました。それでよく憶えている顔ぶれもいます。
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