2013年2月26日火曜日

金沢弁護士会所属会員に対する業務妨害に関する声明〜金沢弁護士会



金沢弁護士会所属会員に対する業務妨害に関する声明

本日、金沢弁護士会に所属する弁護士が、その法律事務所において、男に刃物で腹部を刺されて傷害を負う事件が発生した。容疑者は直ちに逮捕されたとのことである。

「民事事件に関して恨みがあった」と容疑者が供述しているとの報道もあり、これが事実であるとすると、弁護士業務に関連して、凶悪な犯行に至ったということである。我々は、このように弁護士の業務を暴力で妨害し、弁護士に傷害を負わせるという本件犯行について、強く糾弾するものである。

弁護士は、訴訟手続や交渉を通じ、法に基づき社会の紛争を解決することを職責としており、弁護士活動の安全が何よりも確保されなければならない。

暴力による弁護士業務の妨害は、基本的人権を擁護し社会正義を実現することを使命とする弁護士制度に対する不当な攻撃であり、司法制度や法秩序に対する重大な挑戦であって、決して許すことはできない暴挙である。

当会は、弁護士業務への妨害に対する対策を強化するとともに、卑劣な妨害行為に決してひるむことなく、弁護士の使命を貫徹し、法の支配を実現するため邁進する決意であることをここに表明する。

平成21年4月16日

金沢弁護士会
会長 北川 忠夫

引用:金沢弁護士会所属会員に対する業務妨害に関する声明|金沢弁護士会


送信者 金沢弁護士会

横浜弁護士会所属会員の殺害事件に対する会長声明〜金沢弁護士会



横浜弁護士会所属会員の殺害事件に対する会長声明

2010(平成22)年6月2日午後2時40分ころ,横浜弁護士会会員の前野義広弁護士が,同弁護士所属の法律事務所を訪れた男に腹部等を刃物で刺され,死亡するという痛ましい事件が発生した。当会は,亡くなられた前野義広弁護士の御冥福を心からお祈りするとともに,御遺族の皆様へ心よりお悔やみ申し上げる。

この事件は,未だ犯行の原因・背景等が明確にされているには至っていないが,白昼,法律事務所において業務を遂行中の前野弁護士を襲撃したものであることから,同弁護士の業務に関連して弁護士業務を妨害しようとしたものである可能性が極めて高い。

当会においても,2009(平成21)年,当会会員の弁護士がかつての依頼者に包丁で腹部を刺されるという傷害事件が発生している。

このような犯罪行為は,社会正義の実現と基本的人権の擁護を使命とする我々弁護士の業務に対する重大な挑戦であり,断じて許されるものではない。

当会は,このような凶行を行った犯人を強く非難するとともに,卑劣な暴力に怯むことなく,弁護士の使命を全うするため引き続き全力を尽くす決意である。

2010(平成22)年6月14日



金沢弁護士会
会長 山崎正美

引用:横浜弁護士会所属会員の殺害事件に対する会長声明|金沢弁護士会


送信者 金沢弁護士会

秋田弁護士会所属会員の殺害事件に対する会長声明〜金沢弁護士会



秋田弁護士会所属会員の殺害事件に対する会長声明

2010(平成22)年11月4日午前4時05分ころ,秋田弁護士会会員の津谷裕貴弁護士が,同弁護士の自宅を訪れた男に胸等を刃物で刺され,死亡するという痛ましい事件が発生した。当会は,亡くなられた津谷裕貴弁護士の御冥福を心からお祈りするとともに,御遺族の皆様へ心よりお悔やみ申し上げる。

この事件は,未だ犯行の原因・背景等が明確にされてはいないが,津谷弁護士が受任していた離婚事件に関するトラブルが存在するともいわれており,そうであれば,同弁護士に対する逆恨みから同弁護士の弁護士業務を妨害しようとする意図の下になされたものと考えられる。

当会においても,2009(平成21)年,当会会員の弁護士がかつての依頼者に包丁で腹部を刺されるという傷害事件が発生している。

このような犯罪行為は,社会正義の実現と基本的人権の擁護を使命とする我々弁護士の業務に対する重大な挑戦であり,断じて許されるものではない。

当会は,このような凶行を行った犯人を強く非難するとともに,卑劣な暴力に怯むことなく,弁護士の使命を全うするため引き続き全力を尽くす決意である。

2010(平成22)年11月9日

金沢弁護士会
会長 山崎正美

引用:秋田弁護士会所属会員の殺害事件に対する会長声明|金沢弁護士会


送信者 金沢弁護士会

2013年2月25日月曜日

そんなものは医療側の自己責任です。<元検弁護士のつぶやき>

医療問題に関する最終決定 

 いや~、未練がましいエントリを立ててしまってほんとに恥ずかしいです(^^;;;

 結論的には、医療問題を特別視しない、ということです。
 他の問題と同じレベルで、是々非々で意見を述べていきます。

 医療と司法の相互理解ということも特に目指しません。
 わざわざ意識しなくても相互理解が成立する人とは成立するし、しない人とはしない、ということだと思います。

 医療側に立った視点というのも考えないことにします。
 所詮、私は医師ではありませんので、そんなことを考えても誤解されるのがおちですから、患者(患者予備軍)視点で考えます。

 同様に、医療の実態を非医療者に理解してもらおう、ということも意識しません。
 そんなものは医療側の自己責任です。
 私は、医療側の発言を私なりに理解してコメントします。

 医療改革に向けた意見を医師個人に対して発言することも控えます。
 できないことを求めることになっていることがわかりましたから。
 ただし、医療改革の障害になっていると思われる医師個人の考え方については遠慮なく批判します。
 エンジン役は期待しないが、ブレーキになるのであれば患者側目線で批判させていただくということです。
 もちろん、医療改革について前向きに意見交換したいという医師と議論するのは歓迎するところです。
 前向きな議論をしたくない人に前向きな議論をしましょうというのはやめます。
 後ろ向きの意見は、患者側に不利益になると思われる範囲で批判します。

ということで、今後ともよろしくお願いします m(_ _)m
モトケン (2008年11月 8日 13:52) | コメント(157) | トラックバック(0) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:医療問題に関する最終決定  - 元検弁護士のつぶやき


求刑どおりというのも分かる気がします。<元検弁護士のつぶやき>

求刑どおりの実刑判決

「下手な芝居やめろ」と裁判長が一喝 生活保護費詐取に懲役4年

 全盲の視力障害1級を装って生活保護費の加算金など計約540万円相当を不正受給したとして、詐欺罪に問われた無職、丸山伸一被告(51)に対し、札幌地裁は6日、求刑通り懲役4年の判決を言い渡した。

 求刑どおりの判決です。
 一般的には、初犯ならという条件つきですが、被害金額約540万円の詐欺で懲役4年の求刑自体が少し重いかなと感じましたが

 判決理由で嶋原文雄裁判長は「視力障害1級の認定後に運転免許を更新するなど日常生活に支障のない視力があった。福祉を食い物にした」と批判。法廷でよろけるなどあくまで全盲として振る舞う丸山被告に対し、最後に「下手な芝居はやめなさい」と一喝した。

 求刑どおりというのも分かる気がします。

 捜査段階では容疑を認めていたそうですから、全盲でないことについては、免許更新以外にもそれなりの裏付け証拠があると思います。
 にもかかわらず法廷で猿芝居をしたということになれば、反省の念まったくなし、再犯の恐れ極めて大ということになって、情状的には最悪ですね。

 求刑どおりの判決というのはあんまりないんですよ。
モトケン (2008年11月 6日 14:02) | コメント(18) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:求刑どおりの実刑判決 - 元検弁護士のつぶやき


ほとんど聞く耳を持たないという反応も妄想との感を深めた所以です<元検弁護士のつぶやき>

医療問題に関する今後のかかわりについて

 私としましては、今後司法問題に関連する問題を除いて、医療問題について積極的な発言をすることを控えようと思います。

 「東京の妊婦死亡事故」のコメント欄の議論からの印象ではありますが、議論の後半の 僻地外科医さんなど一部の医師を除いて、医師と思われる方のコメントを読むと、医師以外の人たちに対する情報発信の場であるという認識に欠ける人が多いようですし、そういう認識があるとしてもどうもKYとしか思えないものもあります。

 また、私を含む非医療者とコミュニケーションを取ろうという意欲があるようにも思われない感じがします。
 
 私は、医師が不当な非難を受けることがないように、医師からの適切な情報提供と意見表明などの、医療側からの積極的な発言を期待したわけですが、多くは、自己防衛的なもので、分かりやすく言えば墨東病院の件における責任否定または責任回避的な発言が目に付きすぎました。

 たぶん、多くの医師は私や世間を医師ないし医療に対立する存在とみなしているのではないかな、と想像しています(従前のマスコミの論調からすれば無理もないとは思いますが)。
 医師や病院側の何らかの問題を指摘すれば、問題の所在や内容(誰を対象とするどのような問題提起かなど)、問題提起の意図にかかわりなく、医療側は医師に対する非難の臭いを感じるように思われます。
 上記エントリのコメント欄では言うのを控えていましたが、正直言って、被害妄想的な印象も受けています。
 私や私以外の非医療者の投稿者が、そうじゃないという説明を何度かしましたが、ほとんど聞く耳を持たないという反応も妄想との感を深めた所以です。

 これでは、コミュケーションなど成立するはずもなく、かえって溝を深くするだけのように思われました。

 そこで、今後は、医療関係のニュースがあれば興味の赴くままに紹介はしますし、それについていろんな立場の人が意見を述べるのは自由ですが、私はそれを横から見る程度にとどめたいと思います。

 余談ですが、昨日、私はお医者様のお世話になりました。
 様をつけないではいられないほど感謝しています。
 医者でなければできない領域があり、それをきちんと全うされています。
 私の年齢から見ても今後さらにお世話になる機会も多くなると思います。
 医師のみなさんが働きやすい環境であることが、医師の皆さんの能力を最大限に発揮する不可欠の要素であり、かけがえのない患者の命や心身のためには、それこそが患者のためになることである、という考えは、このブログで医療問題を取り上げ始めた当初から変わっていません。
 
 医療をめぐる状況が少しでもよくなることを祈っています。
モトケン (2008年10月29日 15:30) | コメント(16) | トラックバック(0) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:医療問題に関する今後のかかわりについて - 元検弁護士のつぶやき


いわば泣き寝入りをしている弁護士は多いと思います<元検弁護士のつぶやき>

取調べ中の弁護批判に国賠請求

取り調べ中の副検事が弁護士批判、違法の判決 横浜地裁(asahi.com 2008年10月24日22時26分)

 判決によると、元課長は接見した妹尾弁護士らに「話していない内容が含まれた供述調書に署名した」と説明。この時、そういう調書に署名しないよう助言されたのを受けて元課長はその後、自分の考えと違う調書への署名を拒否した。これに対し、副検事は「弁護過誤だ」「弁護士を信じても最後には弁護士は責任を取ってくれない」などと発言した。

 似たようなことを言う検察官(検事、副検事を問わず)はそれほど珍しくないのではないかな、と想像しています。
 警察官はもっと直截な物言いをするかも知れません。
 しかし、損害賠償請求をする弁護士は多くないと思います。
 これは皮肉ではありません。
 よくやった、という賞賛です。
 認容額は10万円ですよね。
 民事訴訟については、いわば泣き寝入りをしている弁護士は多いと思います。
 当該刑事事件の法廷では思いっきり検察官を非難しているかも分かりませんが。
 そういうなかで、妹尾弁護士らが民事提訴しまだ一審とはいえ勝訴したことは大きな意義があったと思います。

 自分の言っていないことが書いてある調書に署名してはいけない。

 これは、私が弁護士になってから、被疑者との初回接見のときに必ず言う言葉です。
 たぶん、私や妹尾弁護士らだけでなくほとんどの弁護士が同じことを言っていると思います。
 要するに、刑事弁護のイロハのイです。
 それに対して「弁護過誤だ。」は恐れ入りました(^^)
 この副検事は、普通に被疑者が言ってないことを調書に書いているんでしょうか?

 私も綺麗事を言うつもりはありませんが、検事当時に、少なくとも、被疑者から「検事さん、私そんなこと言ってませんよ。」と言われて、「お前の弁護士は弁護過誤だ。」と言った覚えはありません。

 但し、語弊を恐れずに綺麗事を言わないついでに言いますと、検事当時に、「弁護士は責任を取ってくれない。」というようなことは言ったかも知れません。(被疑者が真実を供述していないと思われたときのことだと思いますが。)
 本当の意味での弁護過誤がない限り、弁護士が責任を負わないというのは事実だからです。
 少なくとも、「話した覚えのない調書に署名するな。」と言ったことによる責任は生じません。
 ですから、弁護士としての私としても、警察官や検察官が私のクライアントである被疑者に対して、「弁護士を信じても最後には弁護士は責任を取ってくれない」と言ったとしても、たいして怒る気にはなりません。
 クライアントが接見の際に、「検事からこんなこと言われました。」と言ったとしても、私としては「それはそのとおりだよ。」と答えます。
 「判決を受けるのはあなたであって私じゃない。」ということも言います。
 クライアントも納得します。
 その上で弁護方針を相談します。
 あとは、その被疑者が私を信頼するか、検事を信頼するかの勝負だと思っています。
 
モトケン (2008年10月24日 23:58) | コメント(1) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:取調べ中の弁護批判に国賠請求 - 元検弁護士のつぶやき




 コメントが1件のみというのも気になりますが、このブログ(元検弁護士のつぶやき)において過去に何度か見かけたことのある現象というか反応ではあります。


被害者とその家族の人生が破壊されるおそれがあることを考えますと実刑で当然<元検弁護士のつぶやき>

痴漢虚偽告訴の男に実刑ですが

交際女と共謀、痴漢虚偽告訴の元甲南大生に実刑(2008年10月24日15時58分 読売新聞)

 懲役5年6月(求刑・懲役8年)の実刑判決

とのことですが

 判決によると、蒔田被告は交際していた女と共謀。2月、女が市営地下鉄御堂筋線の車内で乗客の男性(59)に触られたとの被害をでっち上げたほか、1月には、女がインターネットの出会い系サイトで誘い出した別の男性に「おれの女に手を出しやがって」と顔などを殴り、金を奪おうとするなどした。

 強盗未遂込みの量刑ですので、虚偽告訴だけだったら実刑だったろうか、という点が気になります。

 被害者が逮捕されただけでも被害者とその家族の人生が破壊されるおそれがあることを考えますと実刑で当然という気がしますが、速やかに自白して被害を最小限に抑えていれば情状を考慮してもいいかな、という感じです。
モトケン (2008年10月24日 17:00) | コメント(6) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:痴漢虚偽告訴の男に実刑ですが - 元検弁護士のつぶやき


不信が高じれば高じるほど、全体としてより高コストになるだろう<元検弁護士のつぶやき>

国選弁護報酬不正請求

国選弁護:岡山の弁護士が報酬を過大請求 刑事告訴も
国選弁護:報酬過大請求、制度の根幹揺るがす…法テラス
国選弁護:報酬過大請求、背景に引き受け弁護士の不足(いずれも毎日jp)

 国選弁護報酬の引き上げは、弁護士会の長年の課題です。
 ほんの少しずつ改善されているような気はしますが、まだまだ絶対的に安すぎるというのが国選弁護をされている弁護士の実感だと思います。

 そこで、弁護士会は、

 国選弁護受任者は低廉すぎる報酬であるにもかかわらず、誠実に弁護活動をしている。
 しかし、国選弁護は赤字である。
 要するに国選弁護は(一部の)弁護士のボランティア精神で支えられている。
 しかし、それにも限界がある。

ということで、国選弁護報酬の増額を要求しているのですが、今回のような事件が起こりますと、どうせみんな不正請求をしているんじゃないのか、という憶測が生じてしまい、増額請求運動に対して思いっきり水を差してしまいそうです。

 この弁護士の責任は重大です。

 このような問題が生じることになったのは、被疑者段階における国選弁護が始まったからです。
 それ以前は、公判段階での国選弁護だけでしたから、国選弁護費用は裁判官が、法廷における弁護活動を見て裁判官が報酬額を決定していましたから、弁護士からの不正請求というのはありませんでした。

 捜査段階の国選弁護ですと、報酬額決定者から直接見えないところでの弁護活動が多くなりますので、いろいろ問題が生じる余地が出てきます。

 今回は接見回数が問題になったようですが、実は、弁護士が警察に接見に行ったときに、その事実を証明する書類は警察から渡されません。
 警察には記録が残りますから調べれば分かるのですが、弁護士に法テラスへ出すための裏づけ書類を要求するとなると、警察にそのような書類の発行を新たに求めなくてはならなくなります。
 少しかも知れませんが、手続的にはコストアップですし、たぶん警察内部では細かい規定の改正が必要になったりしてけっこう面倒な作業が必要だと思います。

 法テラス側としても、どの程度の手続を踏めば弁護士を信用していいのかという問題が生じます。
 警察が接見証明書のようなものを発行するにしても、弁護士がそれを提出したら信用するのか、弁護士の請求と警察が保管している書類との照合まで必要とするのか。
 とりあえず前者で十分だと思いますが、何が言いたいかといいますと、不信を前提とするシステムは不信が高じれば高じるほど、全体としてより高コストになるだろうという話です。
モトケン (2008年10月10日 08:53) | コメント(17) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:国選弁護報酬不正請求 - 元検弁護士のつぶやき




弁護人としては、このような弁明をさせてはいけないでしょうね<元検弁護士のつぶやき>

自分本位な被告人ですが

【法廷から】「結婚考えていた」と“言い訳” 14歳少女を性の対象にした43歳男(産経ニュース)

 罪状認否では起訴事実を認めたようですが

 43歳という「いい大人」でありながら、女子中学生を性の対象にした被告。被害者と正式に付き合い、結婚願望を持っていたと“弁明”したが、検察官と裁判官の態度は非常に厳しかった。

 被告人の心の片隅には、そのような願望がほんの少しはあったかも知れません。
 しかし、弁護人としては、このような弁明をさせてはいけないでしょうね。
 自己中ばればれとしか言いようがありません。
 もっとも、弁護人としても被告人を全てコントロールできませんからどうしようもなかったかも知れませんが。

 言い訳がましい被告人に同情する必要はないとしても

 母親によると、「事件後、(人を)いたわることのできる息子になった」という被告。それを証明するかのように、傍聴席に戻る母親がつまずくのを見て、すかさず手を差し伸べた。

 もう少し早く、母親へのその思いやりを持つことはできなかったのか。被告が3歳のときに父親が蒸発し、女手一つで被告とその弟を育ててきたという背中は丸く、小さかった。被告は、その後ろ姿を見て育ったはずなのに、道を踏み外してしまった。

 わが子がどんなに悪質な罪を犯しても、子供のために証言台に立つ親の心を垣間見たような気がした。

 このお母さんの気持ちを想像すると、一度チャンスを与えてもいいかな、と思います。

 自分のことしか考えていない被告人が、ただ1人だけだとしても自分以外の人の気持ちを考えるならばですが。
モトケン (2008年10月 9日 19:12) | コメント(7) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:自分本位な被告人ですが - 元検弁護士のつぶやき


欠陥を有する人間なのだろうという認識からの予測です。<元検弁護士のつぶやき>

強姦累犯者

11歳女児乱暴で懲役10年の判決 東京地裁(産経ニュース)

 11歳の女児2人に対する強姦(ごうかん)致傷と強制わいせつの罪に問われた東矢恭幸被告(37)の判決公判が9日、東京地裁で開かれた。井口修裁判長は「自己中心的で卑劣。くむべき点はない。計画的で狡猾(こうかつ)な犯行だ」として、懲役10年(求刑懲役12年)を言い渡した。

ということなんですけど

 井口裁判長は、東矢被告がこれまでに強姦罪などで2度服役していた上、出所後の半年間で再び事件を起こした点を指摘。「規範意識が著しく鈍麻している」と断罪した。

 子の親としての立場込みで言いますが、このような前科を考慮すると、求刑も判決も軽すぎるのではないかと思ってしまいます。
 再犯の危険性は極めて大です。
 本音で言えば、出てくればまたやるな、という感じです。
 これは非難とか憎悪からではなく、そういうタイプまたは欠陥を有する人間なのだろうという認識からの予測です。
 となると本来は無期懲役相当の事案ですが、社会隔離には法定刑の限界がありますので、それに代わる対策が絶対必要な犯罪類型だと思います。

 
モトケン (2008年10月 9日 18:56) | コメント(24) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:強姦累犯者 - 元検弁護士のつぶやき


市民感覚、素人感覚のコメントをいただけるとうれしいです<元検弁護士のつぶやき>

コメント欄今昔

 最近、うちのロースクール生に読んでもらえるような過去ログがないかと思って読みなおしていましたら、こんなエントリがありました。

ちょっとした悩み
 拙文ばかりのわがブログですが、毎日そこそこの人数の方にご訪問いただきありがたく思っています。
 でも、コメントをくださる方が少ないんですよね。
 やっぱり弁護士のブログというのは敷居が高いんでしょうか。
 ましてヤメ検だし(^^;
 決して噛みついたりしませんので、市民感覚、素人感覚のコメントをいただけるとうれしいです。

 始めたばかりの2005年9月25日のエントリです。

 今とは隔世の感があります(^^)

 しかし、コメンテイターの多くの方がその道のプロですので、結局敷居が高くなっているような気もします(^^;
 コメントを投稿するに勇気がいるという声も何度か聞きました。
 ここはやはり原点に帰って

 市民感覚、素人感覚のコメントをいただけるとうれしいです。

という気持ちを再確認したいと思います。

 でも聞く耳はもってくださいね m(_ _)m
モトケン (2008年10月 4日 20:55) | コメント(7) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:コメント欄今昔 - 元検弁護士のつぶやき


なんといってもここがポイントでしょう-橋下弁護士VS光市弁護団判決<元検弁護士のつぶやき>

橋下弁護士 vs 光市弁護団 判決

 ここではやっぱり橋下知事ではなく、橋下弁護士ですね。

 橋下知事:「光母子弁護団懲戒」TV発言で賠償命令
 毎日新聞 2008年10月2日 10時21分(最終更新 10月2日 12時25分 ウェブ魚拓

◆懲戒制度の趣旨
 弁護士は少数派の基本的人権を保護すべき使命も有する。多数から批判されたことをもって、懲戒されることがあってはならない。

 なんといってもここがポイントでしょう。

 橋下知事ら関係者のコメント
 ここではやっぱり知事としての顔が前面に出てるみたい。
 http://www.asahi.com/national/update/1002/OSK200810020032.html(ウェブ魚拓)
モトケン (2008年10月 2日 13:01) | コメント(107) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:橋下弁護士 vs 光市弁護団 判決 - 元検弁護士のつぶやき

志布志事件が影響・・・常識的な判断だと<元検弁護士のつぶやき>

取り調べメモ開示命令

取り調べメモ、私費購入のノートも開示対象 最高裁決定(asahi.com 2008年10月1日20時14分)
警察官が自宅保管の取り調べメモ、最高裁で開示命令が確定(2008年10月1日20時31分 読売新聞)

 志布志事件が影響していると見るのは気のせいかしら。
 常識的な判断だと思いますが。
モトケン (2008年10月 1日 22:40) | コメント(8) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:取り調べメモ開示命令 - 元検弁護士のつぶやき


主催した裁判所においては、この点についての分析検討を行って<元検弁護士のつぶやき>

模擬裁判で結論が分かれることについて

「模擬」判決分かれる(毎日新聞 2008年9月30日 21時37分)

 正当防衛や過剰防衛が認められるかどうかが争われた架空の傷害致死事件を題材にした裁判員制度の模擬裁判が29、30の両日、東京地裁で実施された。4グループに分かれて審理した結果、3グループは正当防衛や過剰防衛を認めなかったが、1グループだけが過剰防衛が成立するとして刑を減軽し、判断が分かれた。

 上記が毎日の記事の冒頭の一文であり、見出しも「判決分かれる」としていますから、記者(及び編集者)が、判決が分かれたことに注目していることは分かりますが、この記事だけからは、その点についてどう評価しているかはよく分かりません。

 素人の皆さんから見れば、同じ事件の判決が裁判所の構成メンバーが変わることによって結論が異なることについて、かなりの違和感があるかも知れないなと想像しています。
 法律家的には、それ自体が当然の現象であるとまでは言うべきではないかも知れませんが(判断の客観性に問題があることになります)、司法制度としては、当然想定している事態(現実問題として完全な客観性を確保することが困難)であると考えています。
 ということを認めてしまいますと、裁判所の構成メンバーを選べない被告人としては、運不運によって量刑が変わることがあることを認めることになってしまうわけですが、運不運の要素は否定できないとしても、できる限り少ないほうがよいことは間違いないだろうと思います。

 そうすると、この模擬裁判で判決内容がことなる結果になった要因としてはどのようなものがあるのだろうか、ということが気になってきます。
 模擬裁判を主催した裁判所においては、この点についての分析検討を行っているのでしょうか?
 仮にの話ですが、評議における裁判長の誘導に原因があったりしたら、少なくとも裁判員制度を採用した趣旨からすれば問題があることになるのではなかろうかと思います。
 他の要因があるとしたら、それが望ましいものか望ましくないものかを検討して、望ましくないのであれば改善の必要が生じます。
モトケン (2008年10月 1日 09:34) | コメント(10) | トラックバック(1) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:模擬裁判で結論が分かれることについて - 元検弁護士のつぶやき


検挙された1件に対して厳罰をもって望むことは十分合理性があります<元検弁護士のつぶやき>

掲示板のおふざけ殺害予告に懲役1年6月求刑は重いか?

「小女子焼き殺す」殺害予告で懲役1年6月求刑(ヤフーニュース 9月24日16時44分配信 産経新聞 ウェブ魚拓)

 被告人の真意はタイトルどおり「おふざけ」だったと思いますが、被告人質問のやりとりからするとかなり人格的に問題がありそうです。

 それはともかく

 私が興味を引かれたのはこのニュースについてのはてなブックマークのコメントです。

 http://b.hatena.ne.jp/entry/http%3a//headlines.yahoo.co.jp/hl%3fa=20080924-00000553-san-soci

 標準的はてなユーザーと標準的裁判員候補者の感覚的違いがどの程度あるかはよく分かりませんが、そういう観点で見るとなかなか興味深いです。
 個人的には実刑でもいいと思いますが。

 ちなみに、はてブに引用されている被告人による掲示板の書き込みの内容は以下のとおりです。
 http://mimizun.com/search/perl/dattohtml.pl?http://mimizun.com/log/2ch/heaven4vip/yutori.2ch.net/heaven4vip/kako/1214/12147/1214732232.dat

 参考サイトをもう一つ
 http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1177501.html

追記
 はてブコメントに

 一罰百戒なんて言葉を民主主義社会で軽軽しく使うな

というのがありましたが、一罰百戒という言葉をどう理解しいるんでしょう?

 たぶん、コメントした人は今回の事件をものすごく軽々しく考えてるんじゃないかな、と思います。

 ちなみに、過去にこんなエントリを書いています。
 「ライブドア摘発と一罰百戒」

 100件(1000件でも10000件でも同じ)の殺人予告のうち、1件でも実行されたら、実行されない全ての殺人予告も、現実的危険性のある殺人予告としての意味を持ちます。
 つまり、深刻な不安感や恐怖感の原因となります。
 秋葉原事件によって、すでに1件実行されてます。
 一罰百戒の逆の現象が生じていることになります。

 そのような状況で同種事犯の防止効果を最大限に発揮させるためには、検挙された1件に対して厳罰をもって望むことは十分合理性がありますし、それを強調して周知させることが必要です。
 民主主義社会においてもです。
モトケン (2008年9月28日 13:54) | コメント(176) | トラックバック(2) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:掲示板のおふざけ殺害予告に懲役1年6月求刑は重いか? - 元検弁護士のつぶやき


本当はもっと本質的な背景事情を明らかにする必要があると<元検弁護士のつぶやき>

福岡小1殺害事件続報

「もうどうでもいいやと犯行」 福岡・男児殺害容疑の母(asahi.com 2008年9月27日20時1分)

 弁護人からの情報のようですが、今回は弁護人のマスコミ対応についてというような観点は横に置いて書きます。

 県警も、薫容疑者が弁護人に話した内容をほぼ調べで把握している。が、薫容疑者の供述にはあいまいな点もあるという。公園に行って間もないうちに殺害したとみられることから、計画性の有無について慎重に調べている。

 県警の言う「計画性の有無」というのは、要するに殺意の発生時期のことです。
 殺意が公園に行く前に発生していたら計画性があったと言って妨げないと思いますが、しかし本件のような経緯の事件について、数時間または数日間というスパンで事前の殺意の発生を論じても意味がないように思います。

 同じような事件が起きないようにするためには、本当はもっと本質的な背景事情を明らかにする必要があると思うのですが、事件当時の状況を中心に取調べによって供述を得てその裏付けを取るという警察捜査の基本的なやり方としては限界があるだろうと思います(この種の事案の検察捜査としても変わりませんけど)。

 しかし、マスコミとしては警察情報におんぶにだっこでその限界の中で報道しなければならないということはないはずです。
 もっとも、この記事は弁護人情報に基づいて事件の性格をかなり出そうとしているようですが、
 毎度おなじみの「計画性の有無について慎重に調べている。」というような紋切り型報道じゃなくて、もう少し記者独自の視点があってもいいんじゃないかと思います。

 しかし

 薫容疑者は弁護人に、家族3人で昨年、沖縄に旅行した思い出などを語った。「弘輝の声が聞こえる。弘輝のところにいかないと」

 これには涙が出ました。

 ですが、最後にここで弁護人視点を持ち出しますと、裁判員制度における弁護人のマスコミ対応というものを考えさせられる弁護人からの情報提供事例ではあります。
 この記事によって、真相に近いか遠いか分からない予断を抱いている自分が自覚されます。
モトケン (2008年9月28日 12:31) | コメント(26) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:福岡小1殺害事件続報 - 元検弁護士のつぶやき


裁判員制度になっちゃったので、司法関係者がみんなびっくりしているわけです<元検弁護士のつぶやき>

「裁判員制度についての司法関係者の本音」というタイトルのエントリ
 某ルートを辿って寄り道して見つけた裁判員制度についてのシビアな認識を紹介したブログエントリです。
 裁判員制度についての司法関係者の本音(弁護士のため息)
 概ね同感ですが、特に
 一部の弁護士が「市民が参加すればとにかく良くなる」という幻想を頂いていることは確かだ。
に禿同です。
 一部だから陪審制とか参審制なんか採用されないだろうと思ってたら、どういうはずみか裁判員制度になっちゃったので、司法関係者がみんなびっくりしているわけです。
モトケン (2008年9月26日 16:02) | コメント(24) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:「裁判員制度についての司法関係者の本音」というタイトルのエントリ - 元検弁護士のつぶやき

法律ないし司法制度に対する無知・無理解と言ってしまえばそれまでですが<元検弁護士のつぶやき>

医師はどうすれば安心するのか?

 このエントリは、「医療事故書類送検報道」の 内科の医者 さんのコメントへの横レスですが、内科の医者さん個人宛というわけではありません。

 内科の医者さんの不安感というものは多くの医師の皆さんが感じておられるだろうと思われますので、たたき台として使わせていただきました。
 ただし、若干の皮肉混じりのエントリになりそうですので、そのつもりで読んでください。

 やはり、大臣コメントでは何を言っているかわからない、というのが正直な気持ちです。

 たぶんそうだろうと思って私なりに解説してみたのですが、ほとんど理解されない、というか信用されなかったみたいです。
 法務・検察と警察の両首脳が相次いで、異例のタイミングと異例の内容のコメント、しかも歩調を合わせるかの同趣旨のコメントをしたわけですから、いずれも思いつきや失言の類ではなく、周到に検討を重ねてタイミングを図った上での発言であることが、明確な根拠をもって言えるわけですが、医師の皆さんはどうしても「法律」というものの保障が欲しいようです。

 謙抑的とはどういうことかを法律にしてもらわないと、今までと変わらず医療現場での患者死亡が警察の捜査の対象になる条件がわからないままです。

 言葉の意味の誤解(言い換えれば私の説明力不足)と法律ないし司法制度に対する無知・無理解と言ってしまえばそれまでですが、

 まず、法律で、過失犯の処罰範囲について、医師の皆さんが安心できるような文章表現でその限界を画することは、至難の業です。
 過失犯規定そのものが、犯罪の成立要件としては本来具体的であるべきであるにもかかわらず、抽象的にしか規定し得ていないのです。
 できるものならとっくにやっている、ということです。

 医師の皆さんが望んでいることは、法律ではなく、裁判所による法律適用によって明らかにされるべきもので、大野病院事件判決はまさしく医師の皆さんの期待に応えたものだと思うのですが、そして私ほか数名の法律家は何度もそう言ったつもりですが、「所詮地裁の判決だ」ということであまり安心の根拠にはなっていないようです。
 不信感のサングラスで見れば、仮に高裁の判決が出たとしても、「所詮高裁の判決だ」ということになったでしょうし、仮に最高裁の判決が出たとしても「いつ判例変更があるかわからない」ということになったのではないかと想像します。
 
 また、医師の皆さんから見れば、裁判所は裁判所、警察は警察(ついでに検察は検察)ということで、警察の捜査を法律で縛る方法がない限り、安心できないということなのでしょう。
 この点についても、裁判所の判断は、その手続的上流に位置する検察や警察の行動に大きく影響するという指摘を何度もしてきましたが、それも医師の皆さんに対してはあまり説得力がないようです。

 ということで、立法の問題になるわけですが、

 やはり謙抑的な捜査や告訴がどのようなものか法律で決めてもらわないと、ある種の医療行為は常に業過致死の捜査対象であり続けることは解決すべき問題と立法府に感じてほしいと思います。

と内科の医者 さん(たぶん、他の多くの医師の皆さんも)はおっしゃるわけですが、医師の皆さんは「立法府」というものをどのように認識されているのでしょうか?
 具体的には、国会議員です。多くの国会議員は医療についてはど素人でしょう。
 そして、国会議員の行動は、有権者の意向に強く影響されます。ここで問題になる有権者のほとんども医療についてはど素人でしょう。
 つまり、医師の皆さんが安心できるような法律を作ろうとすれば、まず、医療ど素人の有権者や国会議員の医療に対する理解、医療に対する信頼を得る必要があることになります。
 専門性の高い医療についての理解を求めることは容易ではありませんから、実質的に重要なのは医療ないし医師に対する信頼であることになります。
 私は、常識的な感覚として、信頼の最大の根拠は誠実さであるとの考えのもとに、いくつかのエントリで医療側に対して「誠実さ」や「信頼」の重要性を訴えました。
 ところが、それに対しては、司法は医療に誠実さを要求するが自らはどうなんだ、というような否定的なないし反論的な反応が多く返ってきました。
 しかし、敢えてもう一度言います。
 大野病院事件判決は医師の医療行為に対する信頼を前提にしていると思われます。
 検察は、その判決に対して控訴しないという行動で裁判所の判断を受け入れる意思を表明しました。その意思表明の中には、医師に対する基本的信頼があるものと思われます。
 モトケンが勝手に思っているだけだろうという意見があることは承知の上で言っています。
 安全調(事故調)の議論も、医師に対する基本的信頼がなければ成り立たないものだろうと思います。
 法務・検察や警察の首脳の「医療事故に対する慎重姿勢」の発言も、事故調の議論を踏まえたものと理解出来ます。
 つまり、今は医療界にとって追い風が吹いていると言ってもいいのです。

 しか~~~~~~~~~~し、
 
 もし、今、病院の倫理規定を無視して功名心に走ったとしか見えない(本人の気持ちはともかくそうとしか見えない)医療事故が起こったらどうなりますか? 
 そして、 もし、今、医療事故についてカルテの改ざんや口裏合わせがあったらどうなりますか? 
 そして、そのような医療事故やカルテの改ざんに対して医療界が目に見える具体的な自浄行動に出なかったらどうなりますか?

 医療界や医師に対する基本的な信頼というものは吹っ飛ぶでしょうね。

 医師のお手盛り審査機関になんか任せておられない。
 やっぱり警察にしっかりしてもらわないといけない。
 あやしい事故はみんな告訴だ。

というような事態が現実的に想定されます。

 ちょっと極端な例を挙げましたけど、要するに私が言いたいのは、

 医師の皆さんは医師以外の患者、患者予備軍、国民、国会議員、裁判所、警察、検察を味方につけないと医師の皆さんが一番望む法改正なんか夢のまた夢じゃないんですか?
 そして、味方につける唯一最大の、そして医師として可能な行動は、医師としての誠実な医療なんじゃないんですか?

ということだったんですけど、あんまり通じなかったみたいですね。
 このブログおいてすら、自分の発言が医師以外の人が読んだらどう読めてしまうか、という意識が希薄なコメントが散見されたように思います。
 たしか、医師の皆さんに、「このブログで何のためにコメントされているのですか?」という問いかけをした覚えもありますが、どこに書いたか忘れました。

 それはともかくとして、可能な立法措置について若干述べてみようかと思いましたが、長くなりましたので、ポイントだけ書きます。

 まず、謙抑的な告訴を規定する法律は無理です。
 告訴は私人足る被害者の行為ですから、法律で告訴権を認めながら、それを慎重に行使しろ、とかできるだけ行使するなというような法律は非現実的です。
 患者側の告訴を抑止する最大の要因は、医療側の患者側に対する対応です。
 ここでも「誠実さ」はキーワードです。

 刑事司法権力に対する謙抑性を強調する立法としては二つ考えられます。

 刑事司法の謙抑性というのは、私の理解では、制度運用における権力側の原則的姿勢という意味合いが強いと思っているのですが、それを立法化するとなると、どこかの法律に「医師に対する捜査や起訴は慎重に行うべし。」と言うような規定を盛り込むことが考えられます。
 しかし、こんな抽象的な規定は、訓示規定または努力目標的な意味しか持ち得ませんから、はっきり言って気休めです。
 これで医師の皆さんが安心してくれるならこれほど安上がりなことはありませんが(それでも医療に対する信頼がないと絶対立法されない)、現状に鑑み、医師の皆さんはそれほどお人好しじゃないでしょう。

 より実効性のある立法となると、制度的ないし手続的変更が必要になります。
 最も極端な立法として、医師に対する完全刑事免責(これは謙抑性という言葉の範囲を超えると思いますが)があります。
 そこまでいかなくても、過失犯の親告罪化も議論の俎上にのぼります。
 実は、事故調の議論もその一貫です。
 しかし、「医師に対する完全刑事免責」を除いて、医師の皆さんが完全に安心できる法制度は実現不可能です。
 
 医療側から見れば、医療現場における刑事司法権力の介入はほとんど冤罪だと理解することが可能だと思われます。
 犯罪でない行為に対して、犯罪として捜査が行われたり起訴されたりしていることが納得できない、という主張はそう理解できます。
 しかし、冤罪のリスクを完全に排除することは不可能なのです。
 満員電車で通勤しているサラリーマンは、医師以上に冤罪リスク(痴漢行為)を負っていると言えます。

 理想を求めるのは大事なことですが、理想的な制度でなければ嫌だ、というのであれば現状を変えるチャンスをみすみす逃すことになるでしょう。
 その結果、医師の皆さんの不安感は、これまでと変わりません。
 少しでも改善できれば、すこしは安心できるかも知れませんが。

追記
 書きそびれていた結論めいたものをコメント欄に書きました。
 No.19 モトケン さん | 2008年9月26日 19:14 |
モトケン (2008年9月26日 09:12) | コメント(279) | トラックバック(0) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:医師はどうすれば安心するのか? - 元検弁護士のつぶやき


医療現場における刑事司法権力の介入はほとんど冤罪だと理解することが可能だと<元検弁護士のつぶやき>

医師はどうすれば安心するのか?

 このエントリは、「医療事故書類送検報道」の 内科の医者 さんのコメントへの横レスですが、内科の医者さん個人宛というわけではありません。

 内科の医者さんの不安感というものは多くの医師の皆さんが感じておられるだろうと思われますので、たたき台として使わせていただきました。
 ただし、若干の皮肉混じりのエントリになりそうですので、そのつもりで読んでください。

 やはり、大臣コメントでは何を言っているかわからない、というのが正直な気持ちです。

 たぶんそうだろうと思って私なりに解説してみたのですが、ほとんど理解されない、というか信用されなかったみたいです。
 法務・検察と警察の両首脳が相次いで、異例のタイミングと異例の内容のコメント、しかも歩調を合わせるかの同趣旨のコメントをしたわけですから、いずれも思いつきや失言の類ではなく、周到に検討を重ねてタイミングを図った上での発言であることが、明確な根拠をもって言えるわけですが、医師の皆さんはどうしても「法律」というものの保障が欲しいようです。

 謙抑的とはどういうことかを法律にしてもらわないと、今までと変わらず医療現場での患者死亡が警察の捜査の対象になる条件がわからないままです。

 言葉の意味の誤解(言い換えれば私の説明力不足)と法律ないし司法制度に対する無知・無理解と言ってしまえばそれまでですが、

 まず、法律で、過失犯の処罰範囲について、医師の皆さんが安心できるような文章表現でその限界を画することは、至難の業です。
 過失犯規定そのものが、犯罪の成立要件としては本来具体的であるべきであるにもかかわらず、抽象的にしか規定し得ていないのです。
 できるものならとっくにやっている、ということです。

 医師の皆さんが望んでいることは、法律ではなく、裁判所による法律適用によって明らかにされるべきもので、大野病院事件判決はまさしく医師の皆さんの期待に応えたものだと思うのですが、そして私ほか数名の法律家は何度もそう言ったつもりですが、「所詮地裁の判決だ」ということであまり安心の根拠にはなっていないようです。
 不信感のサングラスで見れば、仮に高裁の判決が出たとしても、「所詮高裁の判決だ」ということになったでしょうし、仮に最高裁の判決が出たとしても「いつ判例変更があるかわからない」ということになったのではないかと想像します。
 
 また、医師の皆さんから見れば、裁判所は裁判所、警察は警察(ついでに検察は検察)ということで、警察の捜査を法律で縛る方法がない限り、安心できないということなのでしょう。
 この点についても、裁判所の判断は、その手続的上流に位置する検察や警察の行動に大きく影響するという指摘を何度もしてきましたが、それも医師の皆さんに対してはあまり説得力がないようです。

 ということで、立法の問題になるわけですが、

 やはり謙抑的な捜査や告訴がどのようなものか法律で決めてもらわないと、ある種の医療行為は常に業過致死の捜査対象であり続けることは解決すべき問題と立法府に感じてほしいと思います。

と内科の医者 さん(たぶん、他の多くの医師の皆さんも)はおっしゃるわけですが、医師の皆さんは「立法府」というものをどのように認識されているのでしょうか?
 具体的には、国会議員です。多くの国会議員は医療についてはど素人でしょう。
 そして、国会議員の行動は、有権者の意向に強く影響されます。ここで問題になる有権者のほとんども医療についてはど素人でしょう。
 つまり、医師の皆さんが安心できるような法律を作ろうとすれば、まず、医療ど素人の有権者や国会議員の医療に対する理解、医療に対する信頼を得る必要があることになります。
 専門性の高い医療についての理解を求めることは容易ではありませんから、実質的に重要なのは医療ないし医師に対する信頼であることになります。
 私は、常識的な感覚として、信頼の最大の根拠は誠実さであるとの考えのもとに、いくつかのエントリで医療側に対して「誠実さ」や「信頼」の重要性を訴えました。
 ところが、それに対しては、司法は医療に誠実さを要求するが自らはどうなんだ、というような否定的なないし反論的な反応が多く返ってきました。
 しかし、敢えてもう一度言います。
 大野病院事件判決は医師の医療行為に対する信頼を前提にしていると思われます。
 検察は、その判決に対して控訴しないという行動で裁判所の判断を受け入れる意思を表明しました。その意思表明の中には、医師に対する基本的信頼があるものと思われます。
 モトケンが勝手に思っているだけだろうという意見があることは承知の上で言っています。
 安全調(事故調)の議論も、医師に対する基本的信頼がなければ成り立たないものだろうと思います。
 法務・検察や警察の首脳の「医療事故に対する慎重姿勢」の発言も、事故調の議論を踏まえたものと理解出来ます。
 つまり、今は医療界にとって追い風が吹いていると言ってもいいのです。

 しか~~~~~~~~~~し、
 
 もし、今、病院の倫理規定を無視して功名心に走ったとしか見えない(本人の気持ちはともかくそうとしか見えない)医療事故が起こったらどうなりますか? 
 そして、 もし、今、医療事故についてカルテの改ざんや口裏合わせがあったらどうなりますか? 
 そして、そのような医療事故やカルテの改ざんに対して医療界が目に見える具体的な自浄行動に出なかったらどうなりますか?

 医療界や医師に対する基本的な信頼というものは吹っ飛ぶでしょうね。

 医師のお手盛り審査機関になんか任せておられない。
 やっぱり警察にしっかりしてもらわないといけない。
 あやしい事故はみんな告訴だ。

というような事態が現実的に想定されます。

 ちょっと極端な例を挙げましたけど、要するに私が言いたいのは、

 医師の皆さんは医師以外の患者、患者予備軍、国民、国会議員、裁判所、警察、検察を味方につけないと医師の皆さんが一番望む法改正なんか夢のまた夢じゃないんですか?
 そして、味方につける唯一最大の、そして医師として可能な行動は、医師としての誠実な医療なんじゃないんですか?

ということだったんですけど、あんまり通じなかったみたいですね。
 このブログおいてすら、自分の発言が医師以外の人が読んだらどう読めてしまうか、という意識が希薄なコメントが散見されたように思います。
 たしか、医師の皆さんに、「このブログで何のためにコメントされているのですか?」という問いかけをした覚えもありますが、どこに書いたか忘れました。

 それはともかくとして、可能な立法措置について若干述べてみようかと思いましたが、長くなりましたので、ポイントだけ書きます。

 まず、謙抑的な告訴を規定する法律は無理です。
 告訴は私人足る被害者の行為ですから、法律で告訴権を認めながら、それを慎重に行使しろ、とかできるだけ行使するなというような法律は非現実的です。
 患者側の告訴を抑止する最大の要因は、医療側の患者側に対する対応です。
 ここでも「誠実さ」はキーワードです。

 刑事司法権力に対する謙抑性を強調する立法としては二つ考えられます。

 刑事司法の謙抑性というのは、私の理解では、制度運用における権力側の原則的姿勢という意味合いが強いと思っているのですが、それを立法化するとなると、どこかの法律に「医師に対する捜査や起訴は慎重に行うべし。」と言うような規定を盛り込むことが考えられます。
 しかし、こんな抽象的な規定は、訓示規定または努力目標的な意味しか持ち得ませんから、はっきり言って気休めです。
 これで医師の皆さんが安心してくれるならこれほど安上がりなことはありませんが(それでも医療に対する信頼がないと絶対立法されない)、現状に鑑み、医師の皆さんはそれほどお人好しじゃないでしょう。

 より実効性のある立法となると、制度的ないし手続的変更が必要になります。
 最も極端な立法として、医師に対する完全刑事免責(これは謙抑性という言葉の範囲を超えると思いますが)があります。
 そこまでいかなくても、過失犯の親告罪化も議論の俎上にのぼります。
 実は、事故調の議論もその一貫です。
 しかし、「医師に対する完全刑事免責」を除いて、医師の皆さんが完全に安心できる法制度は実現不可能です。
 
 医療側から見れば、医療現場における刑事司法権力の介入はほとんど冤罪だと理解することが可能だと思われます。
 犯罪でない行為に対して、犯罪として捜査が行われたり起訴されたりしていることが納得できない、という主張はそう理解できます。
 しかし、冤罪のリスクを完全に排除することは不可能なのです。
 満員電車で通勤しているサラリーマンは、医師以上に冤罪リスク(痴漢行為)を負っていると言えます。

 理想を求めるのは大事なことですが、理想的な制度でなければ嫌だ、というのであれば現状を変えるチャンスをみすみす逃すことになるでしょう。
 その結果、医師の皆さんの不安感は、これまでと変わりません。
 少しでも改善できれば、すこしは安心できるかも知れませんが。

追記
 書きそびれていた結論めいたものをコメント欄に書きました。
 No.19 モトケン さん | 2008年9月26日 19:14 |
モトケン (2008年9月26日 09:12) | コメント(279) | トラックバック(0) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:医師はどうすれば安心するのか? - 元検弁護士のつぶやき


医師はどうすれば安心するのか?<元検弁護士のつぶやき>

医師はどうすれば安心するのか?

 このエントリは、「医療事故書類送検報道」の 内科の医者 さんのコメントへの横レスですが、内科の医者さん個人宛というわけではありません。

 内科の医者さんの不安感というものは多くの医師の皆さんが感じておられるだろうと思われますので、たたき台として使わせていただきました。
 ただし、若干の皮肉混じりのエントリになりそうですので、そのつもりで読んでください。

 やはり、大臣コメントでは何を言っているかわからない、というのが正直な気持ちです。

 たぶんそうだろうと思って私なりに解説してみたのですが、ほとんど理解されない、というか信用されなかったみたいです。
 法務・検察と警察の両首脳が相次いで、異例のタイミングと異例の内容のコメント、しかも歩調を合わせるかの同趣旨のコメントをしたわけですから、いずれも思いつきや失言の類ではなく、周到に検討を重ねてタイミングを図った上での発言であることが、明確な根拠をもって言えるわけですが、医師の皆さんはどうしても「法律」というものの保障が欲しいようです。

 謙抑的とはどういうことかを法律にしてもらわないと、今までと変わらず医療現場での患者死亡が警察の捜査の対象になる条件がわからないままです。

 言葉の意味の誤解(言い換えれば私の説明力不足)と法律ないし司法制度に対する無知・無理解と言ってしまえばそれまでですが、

 まず、法律で、過失犯の処罰範囲について、医師の皆さんが安心できるような文章表現でその限界を画することは、至難の業です。
 過失犯規定そのものが、犯罪の成立要件としては本来具体的であるべきであるにもかかわらず、抽象的にしか規定し得ていないのです。
 できるものならとっくにやっている、ということです。

 医師の皆さんが望んでいることは、法律ではなく、裁判所による法律適用によって明らかにされるべきもので、大野病院事件判決はまさしく医師の皆さんの期待に応えたものだと思うのですが、そして私ほか数名の法律家は何度もそう言ったつもりですが、「所詮地裁の判決だ」ということであまり安心の根拠にはなっていないようです。
 不信感のサングラスで見れば、仮に高裁の判決が出たとしても、「所詮高裁の判決だ」ということになったでしょうし、仮に最高裁の判決が出たとしても「いつ判例変更があるかわからない」ということになったのではないかと想像します。
 
 また、医師の皆さんから見れば、裁判所は裁判所、警察は警察(ついでに検察は検察)ということで、警察の捜査を法律で縛る方法がない限り、安心できないということなのでしょう。
 この点についても、裁判所の判断は、その手続的上流に位置する検察や警察の行動に大きく影響するという指摘を何度もしてきましたが、それも医師の皆さんに対してはあまり説得力がないようです。

 ということで、立法の問題になるわけですが、

 やはり謙抑的な捜査や告訴がどのようなものか法律で決めてもらわないと、ある種の医療行為は常に業過致死の捜査対象であり続けることは解決すべき問題と立法府に感じてほしいと思います。

と内科の医者 さん(たぶん、他の多くの医師の皆さんも)はおっしゃるわけですが、医師の皆さんは「立法府」というものをどのように認識されているのでしょうか?
 具体的には、国会議員です。多くの国会議員は医療についてはど素人でしょう。
 そして、国会議員の行動は、有権者の意向に強く影響されます。ここで問題になる有権者のほとんども医療についてはど素人でしょう。
 つまり、医師の皆さんが安心できるような法律を作ろうとすれば、まず、医療ど素人の有権者や国会議員の医療に対する理解、医療に対する信頼を得る必要があることになります。
 専門性の高い医療についての理解を求めることは容易ではありませんから、実質的に重要なのは医療ないし医師に対する信頼であることになります。
 私は、常識的な感覚として、信頼の最大の根拠は誠実さであるとの考えのもとに、いくつかのエントリで医療側に対して「誠実さ」や「信頼」の重要性を訴えました。
 ところが、それに対しては、司法は医療に誠実さを要求するが自らはどうなんだ、というような否定的なないし反論的な反応が多く返ってきました。
 しかし、敢えてもう一度言います。
 大野病院事件判決は医師の医療行為に対する信頼を前提にしていると思われます。
 検察は、その判決に対して控訴しないという行動で裁判所の判断を受け入れる意思を表明しました。その意思表明の中には、医師に対する基本的信頼があるものと思われます。
 モトケンが勝手に思っているだけだろうという意見があることは承知の上で言っています。
 安全調(事故調)の議論も、医師に対する基本的信頼がなければ成り立たないものだろうと思います。
 法務・検察や警察の首脳の「医療事故に対する慎重姿勢」の発言も、事故調の議論を踏まえたものと理解出来ます。
 つまり、今は医療界にとって追い風が吹いていると言ってもいいのです。

 しか~~~~~~~~~~し、
 
 もし、今、病院の倫理規定を無視して功名心に走ったとしか見えない(本人の気持ちはともかくそうとしか見えない)医療事故が起こったらどうなりますか? 
 そして、 もし、今、医療事故についてカルテの改ざんや口裏合わせがあったらどうなりますか? 
 そして、そのような医療事故やカルテの改ざんに対して医療界が目に見える具体的な自浄行動に出なかったらどうなりますか?

 医療界や医師に対する基本的な信頼というものは吹っ飛ぶでしょうね。

 医師のお手盛り審査機関になんか任せておられない。
 やっぱり警察にしっかりしてもらわないといけない。
 あやしい事故はみんな告訴だ。

というような事態が現実的に想定されます。

 ちょっと極端な例を挙げましたけど、要するに私が言いたいのは、

 医師の皆さんは医師以外の患者、患者予備軍、国民、国会議員、裁判所、警察、検察を味方につけないと医師の皆さんが一番望む法改正なんか夢のまた夢じゃないんですか?
 そして、味方につける唯一最大の、そして医師として可能な行動は、医師としての誠実な医療なんじゃないんですか?

ということだったんですけど、あんまり通じなかったみたいですね。
 このブログおいてすら、自分の発言が医師以外の人が読んだらどう読めてしまうか、という意識が希薄なコメントが散見されたように思います。
 たしか、医師の皆さんに、「このブログで何のためにコメントされているのですか?」という問いかけをした覚えもありますが、どこに書いたか忘れました。

 それはともかくとして、可能な立法措置について若干述べてみようかと思いましたが、長くなりましたので、ポイントだけ書きます。

 まず、謙抑的な告訴を規定する法律は無理です。
 告訴は私人足る被害者の行為ですから、法律で告訴権を認めながら、それを慎重に行使しろ、とかできるだけ行使するなというような法律は非現実的です。
 患者側の告訴を抑止する最大の要因は、医療側の患者側に対する対応です。
 ここでも「誠実さ」はキーワードです。

 刑事司法権力に対する謙抑性を強調する立法としては二つ考えられます。

 刑事司法の謙抑性というのは、私の理解では、制度運用における権力側の原則的姿勢という意味合いが強いと思っているのですが、それを立法化するとなると、どこかの法律に「医師に対する捜査や起訴は慎重に行うべし。」と言うような規定を盛り込むことが考えられます。
 しかし、こんな抽象的な規定は、訓示規定または努力目標的な意味しか持ち得ませんから、はっきり言って気休めです。
 これで医師の皆さんが安心してくれるならこれほど安上がりなことはありませんが(それでも医療に対する信頼がないと絶対立法されない)、現状に鑑み、医師の皆さんはそれほどお人好しじゃないでしょう。

 より実効性のある立法となると、制度的ないし手続的変更が必要になります。
 最も極端な立法として、医師に対する完全刑事免責(これは謙抑性という言葉の範囲を超えると思いますが)があります。
 そこまでいかなくても、過失犯の親告罪化も議論の俎上にのぼります。
 実は、事故調の議論もその一貫です。
 しかし、「医師に対する完全刑事免責」を除いて、医師の皆さんが完全に安心できる法制度は実現不可能です。
 
 医療側から見れば、医療現場における刑事司法権力の介入はほとんど冤罪だと理解することが可能だと思われます。
 犯罪でない行為に対して、犯罪として捜査が行われたり起訴されたりしていることが納得できない、という主張はそう理解できます。
 しかし、冤罪のリスクを完全に排除することは不可能なのです。
 満員電車で通勤しているサラリーマンは、医師以上に冤罪リスク(痴漢行為)を負っていると言えます。

 理想を求めるのは大事なことですが、理想的な制度でなければ嫌だ、というのであれば現状を変えるチャンスをみすみす逃すことになるでしょう。
 その結果、医師の皆さんの不安感は、これまでと変わりません。
 少しでも改善できれば、すこしは安心できるかも知れませんが。

追記
 書きそびれていた結論めいたものをコメント欄に書きました。
 No.19 モトケン さん | 2008年9月26日 19:14 |
モトケン (2008年9月26日 09:12) | コメント(279) | トラックバック(0) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:医師はどうすれば安心するのか? - 元検弁護士のつぶやき


患者側の告訴を抑止する最大の要因は、医療側の患者側に対する対応です<元検弁護士のつぶやき>

医師はどうすれば安心するのか?

 このエントリは、「医療事故書類送検報道」の 内科の医者 さんのコメントへの横レスですが、内科の医者さん個人宛というわけではありません。

 内科の医者さんの不安感というものは多くの医師の皆さんが感じておられるだろうと思われますので、たたき台として使わせていただきました。
 ただし、若干の皮肉混じりのエントリになりそうですので、そのつもりで読んでください。

 やはり、大臣コメントでは何を言っているかわからない、というのが正直な気持ちです。

 たぶんそうだろうと思って私なりに解説してみたのですが、ほとんど理解されない、というか信用されなかったみたいです。
 法務・検察と警察の両首脳が相次いで、異例のタイミングと異例の内容のコメント、しかも歩調を合わせるかの同趣旨のコメントをしたわけですから、いずれも思いつきや失言の類ではなく、周到に検討を重ねてタイミングを図った上での発言であることが、明確な根拠をもって言えるわけですが、医師の皆さんはどうしても「法律」というものの保障が欲しいようです。

 謙抑的とはどういうことかを法律にしてもらわないと、今までと変わらず医療現場での患者死亡が警察の捜査の対象になる条件がわからないままです。

 言葉の意味の誤解(言い換えれば私の説明力不足)と法律ないし司法制度に対する無知・無理解と言ってしまえばそれまでですが、

 まず、法律で、過失犯の処罰範囲について、医師の皆さんが安心できるような文章表現でその限界を画することは、至難の業です。
 過失犯規定そのものが、犯罪の成立要件としては本来具体的であるべきであるにもかかわらず、抽象的にしか規定し得ていないのです。
 できるものならとっくにやっている、ということです。

 医師の皆さんが望んでいることは、法律ではなく、裁判所による法律適用によって明らかにされるべきもので、大野病院事件判決はまさしく医師の皆さんの期待に応えたものだと思うのですが、そして私ほか数名の法律家は何度もそう言ったつもりですが、「所詮地裁の判決だ」ということであまり安心の根拠にはなっていないようです。
 不信感のサングラスで見れば、仮に高裁の判決が出たとしても、「所詮高裁の判決だ」ということになったでしょうし、仮に最高裁の判決が出たとしても「いつ判例変更があるかわからない」ということになったのではないかと想像します。
 
 また、医師の皆さんから見れば、裁判所は裁判所、警察は警察(ついでに検察は検察)ということで、警察の捜査を法律で縛る方法がない限り、安心できないということなのでしょう。
 この点についても、裁判所の判断は、その手続的上流に位置する検察や警察の行動に大きく影響するという指摘を何度もしてきましたが、それも医師の皆さんに対してはあまり説得力がないようです。

 ということで、立法の問題になるわけですが、

 やはり謙抑的な捜査や告訴がどのようなものか法律で決めてもらわないと、ある種の医療行為は常に業過致死の捜査対象であり続けることは解決すべき問題と立法府に感じてほしいと思います。

と内科の医者 さん(たぶん、他の多くの医師の皆さんも)はおっしゃるわけですが、医師の皆さんは「立法府」というものをどのように認識されているのでしょうか?
 具体的には、国会議員です。多くの国会議員は医療についてはど素人でしょう。
 そして、国会議員の行動は、有権者の意向に強く影響されます。ここで問題になる有権者のほとんども医療についてはど素人でしょう。
 つまり、医師の皆さんが安心できるような法律を作ろうとすれば、まず、医療ど素人の有権者や国会議員の医療に対する理解、医療に対する信頼を得る必要があることになります。
 専門性の高い医療についての理解を求めることは容易ではありませんから、実質的に重要なのは医療ないし医師に対する信頼であることになります。
 私は、常識的な感覚として、信頼の最大の根拠は誠実さであるとの考えのもとに、いくつかのエントリで医療側に対して「誠実さ」や「信頼」の重要性を訴えました。
 ところが、それに対しては、司法は医療に誠実さを要求するが自らはどうなんだ、というような否定的なないし反論的な反応が多く返ってきました。
 しかし、敢えてもう一度言います。
 大野病院事件判決は医師の医療行為に対する信頼を前提にしていると思われます。
 検察は、その判決に対して控訴しないという行動で裁判所の判断を受け入れる意思を表明しました。その意思表明の中には、医師に対する基本的信頼があるものと思われます。
 モトケンが勝手に思っているだけだろうという意見があることは承知の上で言っています。
 安全調(事故調)の議論も、医師に対する基本的信頼がなければ成り立たないものだろうと思います。
 法務・検察や警察の首脳の「医療事故に対する慎重姿勢」の発言も、事故調の議論を踏まえたものと理解出来ます。
 つまり、今は医療界にとって追い風が吹いていると言ってもいいのです。

 しか~~~~~~~~~~し、
 
 もし、今、病院の倫理規定を無視して功名心に走ったとしか見えない(本人の気持ちはともかくそうとしか見えない)医療事故が起こったらどうなりますか? 
 そして、 もし、今、医療事故についてカルテの改ざんや口裏合わせがあったらどうなりますか? 
 そして、そのような医療事故やカルテの改ざんに対して医療界が目に見える具体的な自浄行動に出なかったらどうなりますか?

 医療界や医師に対する基本的な信頼というものは吹っ飛ぶでしょうね。

 医師のお手盛り審査機関になんか任せておられない。
 やっぱり警察にしっかりしてもらわないといけない。
 あやしい事故はみんな告訴だ。

というような事態が現実的に想定されます。

 ちょっと極端な例を挙げましたけど、要するに私が言いたいのは、

 医師の皆さんは医師以外の患者、患者予備軍、国民、国会議員、裁判所、警察、検察を味方につけないと医師の皆さんが一番望む法改正なんか夢のまた夢じゃないんですか?
 そして、味方につける唯一最大の、そして医師として可能な行動は、医師としての誠実な医療なんじゃないんですか?

ということだったんですけど、あんまり通じなかったみたいですね。
 このブログおいてすら、自分の発言が医師以外の人が読んだらどう読めてしまうか、という意識が希薄なコメントが散見されたように思います。
 たしか、医師の皆さんに、「このブログで何のためにコメントされているのですか?」という問いかけをした覚えもありますが、どこに書いたか忘れました。

 それはともかくとして、可能な立法措置について若干述べてみようかと思いましたが、長くなりましたので、ポイントだけ書きます。

 まず、謙抑的な告訴を規定する法律は無理です。
 告訴は私人足る被害者の行為ですから、法律で告訴権を認めながら、それを慎重に行使しろ、とかできるだけ行使するなというような法律は非現実的です。
 患者側の告訴を抑止する最大の要因は、医療側の患者側に対する対応です。
 ここでも「誠実さ」はキーワードです。

 刑事司法権力に対する謙抑性を強調する立法としては二つ考えられます。

 刑事司法の謙抑性というのは、私の理解では、制度運用における権力側の原則的姿勢という意味合いが強いと思っているのですが、それを立法化するとなると、どこかの法律に「医師に対する捜査や起訴は慎重に行うべし。」と言うような規定を盛り込むことが考えられます。
 しかし、こんな抽象的な規定は、訓示規定または努力目標的な意味しか持ち得ませんから、はっきり言って気休めです。
 これで医師の皆さんが安心してくれるならこれほど安上がりなことはありませんが(それでも医療に対する信頼がないと絶対立法されない)、現状に鑑み、医師の皆さんはそれほどお人好しじゃないでしょう。

 より実効性のある立法となると、制度的ないし手続的変更が必要になります。
 最も極端な立法として、医師に対する完全刑事免責(これは謙抑性という言葉の範囲を超えると思いますが)があります。
 そこまでいかなくても、過失犯の親告罪化も議論の俎上にのぼります。
 実は、事故調の議論もその一貫です。
 しかし、「医師に対する完全刑事免責」を除いて、医師の皆さんが完全に安心できる法制度は実現不可能です。
 
 医療側から見れば、医療現場における刑事司法権力の介入はほとんど冤罪だと理解することが可能だと思われます。
 犯罪でない行為に対して、犯罪として捜査が行われたり起訴されたりしていることが納得できない、という主張はそう理解できます。
 しかし、冤罪のリスクを完全に排除することは不可能なのです。
 満員電車で通勤しているサラリーマンは、医師以上に冤罪リスク(痴漢行為)を負っていると言えます。

 理想を求めるのは大事なことですが、理想的な制度でなければ嫌だ、というのであれば現状を変えるチャンスをみすみす逃すことになるでしょう。
 その結果、医師の皆さんの不安感は、これまでと変わりません。
 少しでも改善できれば、すこしは安心できるかも知れませんが。

追記
 書きそびれていた結論めいたものをコメント欄に書きました。
 No.19 モトケン さん | 2008年9月26日 19:14 |
モトケン (2008年9月26日 09:12) | コメント(279) | トラックバック(0) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:医師はどうすれば安心するのか? - 元検弁護士のつぶやき


医療界や医師に対する基本的な信頼というものは吹っ飛ぶでしょうね<元検弁護士のつぶやき>

医師はどうすれば安心するのか?

 このエントリは、「医療事故書類送検報道」の 内科の医者 さんのコメントへの横レスですが、内科の医者さん個人宛というわけではありません。

 内科の医者さんの不安感というものは多くの医師の皆さんが感じておられるだろうと思われますので、たたき台として使わせていただきました。
 ただし、若干の皮肉混じりのエントリになりそうですので、そのつもりで読んでください。

 やはり、大臣コメントでは何を言っているかわからない、というのが正直な気持ちです。

 たぶんそうだろうと思って私なりに解説してみたのですが、ほとんど理解されない、というか信用されなかったみたいです。
 法務・検察と警察の両首脳が相次いで、異例のタイミングと異例の内容のコメント、しかも歩調を合わせるかの同趣旨のコメントをしたわけですから、いずれも思いつきや失言の類ではなく、周到に検討を重ねてタイミングを図った上での発言であることが、明確な根拠をもって言えるわけですが、医師の皆さんはどうしても「法律」というものの保障が欲しいようです。

 謙抑的とはどういうことかを法律にしてもらわないと、今までと変わらず医療現場での患者死亡が警察の捜査の対象になる条件がわからないままです。

 言葉の意味の誤解(言い換えれば私の説明力不足)と法律ないし司法制度に対する無知・無理解と言ってしまえばそれまでですが、

 まず、法律で、過失犯の処罰範囲について、医師の皆さんが安心できるような文章表現でその限界を画することは、至難の業です。
 過失犯規定そのものが、犯罪の成立要件としては本来具体的であるべきであるにもかかわらず、抽象的にしか規定し得ていないのです。
 できるものならとっくにやっている、ということです。

 医師の皆さんが望んでいることは、法律ではなく、裁判所による法律適用によって明らかにされるべきもので、大野病院事件判決はまさしく医師の皆さんの期待に応えたものだと思うのですが、そして私ほか数名の法律家は何度もそう言ったつもりですが、「所詮地裁の判決だ」ということであまり安心の根拠にはなっていないようです。
 不信感のサングラスで見れば、仮に高裁の判決が出たとしても、「所詮高裁の判決だ」ということになったでしょうし、仮に最高裁の判決が出たとしても「いつ判例変更があるかわからない」ということになったのではないかと想像します。
 
 また、医師の皆さんから見れば、裁判所は裁判所、警察は警察(ついでに検察は検察)ということで、警察の捜査を法律で縛る方法がない限り、安心できないということなのでしょう。
 この点についても、裁判所の判断は、その手続的上流に位置する検察や警察の行動に大きく影響するという指摘を何度もしてきましたが、それも医師の皆さんに対してはあまり説得力がないようです。

 ということで、立法の問題になるわけですが、

 やはり謙抑的な捜査や告訴がどのようなものか法律で決めてもらわないと、ある種の医療行為は常に業過致死の捜査対象であり続けることは解決すべき問題と立法府に感じてほしいと思います。

と内科の医者 さん(たぶん、他の多くの医師の皆さんも)はおっしゃるわけですが、医師の皆さんは「立法府」というものをどのように認識されているのでしょうか?
 具体的には、国会議員です。多くの国会議員は医療についてはど素人でしょう。
 そして、国会議員の行動は、有権者の意向に強く影響されます。ここで問題になる有権者のほとんども医療についてはど素人でしょう。
 つまり、医師の皆さんが安心できるような法律を作ろうとすれば、まず、医療ど素人の有権者や国会議員の医療に対する理解、医療に対する信頼を得る必要があることになります。
 専門性の高い医療についての理解を求めることは容易ではありませんから、実質的に重要なのは医療ないし医師に対する信頼であることになります。
 私は、常識的な感覚として、信頼の最大の根拠は誠実さであるとの考えのもとに、いくつかのエントリで医療側に対して「誠実さ」や「信頼」の重要性を訴えました。
 ところが、それに対しては、司法は医療に誠実さを要求するが自らはどうなんだ、というような否定的なないし反論的な反応が多く返ってきました。
 しかし、敢えてもう一度言います。
 大野病院事件判決は医師の医療行為に対する信頼を前提にしていると思われます。
 検察は、その判決に対して控訴しないという行動で裁判所の判断を受け入れる意思を表明しました。その意思表明の中には、医師に対する基本的信頼があるものと思われます。
 モトケンが勝手に思っているだけだろうという意見があることは承知の上で言っています。
 安全調(事故調)の議論も、医師に対する基本的信頼がなければ成り立たないものだろうと思います。
 法務・検察や警察の首脳の「医療事故に対する慎重姿勢」の発言も、事故調の議論を踏まえたものと理解出来ます。
 つまり、今は医療界にとって追い風が吹いていると言ってもいいのです。

 しか~~~~~~~~~~し、
 
 もし、今、病院の倫理規定を無視して功名心に走ったとしか見えない(本人の気持ちはともかくそうとしか見えない)医療事故が起こったらどうなりますか? 
 そして、 もし、今、医療事故についてカルテの改ざんや口裏合わせがあったらどうなりますか? 
 そして、そのような医療事故やカルテの改ざんに対して医療界が目に見える具体的な自浄行動に出なかったらどうなりますか?

 医療界や医師に対する基本的な信頼というものは吹っ飛ぶでしょうね。

 医師のお手盛り審査機関になんか任せておられない。
 やっぱり警察にしっかりしてもらわないといけない。
 あやしい事故はみんな告訴だ。

というような事態が現実的に想定されます。

 ちょっと極端な例を挙げましたけど、要するに私が言いたいのは、

 医師の皆さんは医師以外の患者、患者予備軍、国民、国会議員、裁判所、警察、検察を味方につけないと医師の皆さんが一番望む法改正なんか夢のまた夢じゃないんですか?
 そして、味方につける唯一最大の、そして医師として可能な行動は、医師としての誠実な医療なんじゃないんですか?

ということだったんですけど、あんまり通じなかったみたいですね。
 このブログおいてすら、自分の発言が医師以外の人が読んだらどう読めてしまうか、という意識が希薄なコメントが散見されたように思います。
 たしか、医師の皆さんに、「このブログで何のためにコメントされているのですか?」という問いかけをした覚えもありますが、どこに書いたか忘れました。

 それはともかくとして、可能な立法措置について若干述べてみようかと思いましたが、長くなりましたので、ポイントだけ書きます。

 まず、謙抑的な告訴を規定する法律は無理です。
 告訴は私人足る被害者の行為ですから、法律で告訴権を認めながら、それを慎重に行使しろ、とかできるだけ行使するなというような法律は非現実的です。
 患者側の告訴を抑止する最大の要因は、医療側の患者側に対する対応です。
 ここでも「誠実さ」はキーワードです。

 刑事司法権力に対する謙抑性を強調する立法としては二つ考えられます。

 刑事司法の謙抑性というのは、私の理解では、制度運用における権力側の原則的姿勢という意味合いが強いと思っているのですが、それを立法化するとなると、どこかの法律に「医師に対する捜査や起訴は慎重に行うべし。」と言うような規定を盛り込むことが考えられます。
 しかし、こんな抽象的な規定は、訓示規定または努力目標的な意味しか持ち得ませんから、はっきり言って気休めです。
 これで医師の皆さんが安心してくれるならこれほど安上がりなことはありませんが(それでも医療に対する信頼がないと絶対立法されない)、現状に鑑み、医師の皆さんはそれほどお人好しじゃないでしょう。

 より実効性のある立法となると、制度的ないし手続的変更が必要になります。
 最も極端な立法として、医師に対する完全刑事免責(これは謙抑性という言葉の範囲を超えると思いますが)があります。
 そこまでいかなくても、過失犯の親告罪化も議論の俎上にのぼります。
 実は、事故調の議論もその一貫です。
 しかし、「医師に対する完全刑事免責」を除いて、医師の皆さんが完全に安心できる法制度は実現不可能です。
 
 医療側から見れば、医療現場における刑事司法権力の介入はほとんど冤罪だと理解することが可能だと思われます。
 犯罪でない行為に対して、犯罪として捜査が行われたり起訴されたりしていることが納得できない、という主張はそう理解できます。
 しかし、冤罪のリスクを完全に排除することは不可能なのです。
 満員電車で通勤しているサラリーマンは、医師以上に冤罪リスク(痴漢行為)を負っていると言えます。

 理想を求めるのは大事なことですが、理想的な制度でなければ嫌だ、というのであれば現状を変えるチャンスをみすみす逃すことになるでしょう。
 その結果、医師の皆さんの不安感は、これまでと変わりません。
 少しでも改善できれば、すこしは安心できるかも知れませんが。

追記
 書きそびれていた結論めいたものをコメント欄に書きました。
 No.19 モトケン さん | 2008年9月26日 19:14 |
モトケン (2008年9月26日 09:12) | コメント(279) | トラックバック(0) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:医師はどうすれば安心するのか? - 元検弁護士のつぶやき


警察の捜査を法律で縛る方法がない限り、安心できないということなのでしょう<元検弁護士のつぶやき>

医師はどうすれば安心するのか?

 このエントリは、「医療事故書類送検報道」の 内科の医者 さんのコメントへの横レスですが、内科の医者さん個人宛というわけではありません。

 内科の医者さんの不安感というものは多くの医師の皆さんが感じておられるだろうと思われますので、たたき台として使わせていただきました。
 ただし、若干の皮肉混じりのエントリになりそうですので、そのつもりで読んでください。

 やはり、大臣コメントでは何を言っているかわからない、というのが正直な気持ちです。

 たぶんそうだろうと思って私なりに解説してみたのですが、ほとんど理解されない、というか信用されなかったみたいです。
 法務・検察と警察の両首脳が相次いで、異例のタイミングと異例の内容のコメント、しかも歩調を合わせるかの同趣旨のコメントをしたわけですから、いずれも思いつきや失言の類ではなく、周到に検討を重ねてタイミングを図った上での発言であることが、明確な根拠をもって言えるわけですが、医師の皆さんはどうしても「法律」というものの保障が欲しいようです。

 謙抑的とはどういうことかを法律にしてもらわないと、今までと変わらず医療現場での患者死亡が警察の捜査の対象になる条件がわからないままです。

 言葉の意味の誤解(言い換えれば私の説明力不足)と法律ないし司法制度に対する無知・無理解と言ってしまえばそれまでですが、

 まず、法律で、過失犯の処罰範囲について、医師の皆さんが安心できるような文章表現でその限界を画することは、至難の業です。
 過失犯規定そのものが、犯罪の成立要件としては本来具体的であるべきであるにもかかわらず、抽象的にしか規定し得ていないのです。
 できるものならとっくにやっている、ということです。

 医師の皆さんが望んでいることは、法律ではなく、裁判所による法律適用によって明らかにされるべきもので、大野病院事件判決はまさしく医師の皆さんの期待に応えたものだと思うのですが、そして私ほか数名の法律家は何度もそう言ったつもりですが、「所詮地裁の判決だ」ということであまり安心の根拠にはなっていないようです。
 不信感のサングラスで見れば、仮に高裁の判決が出たとしても、「所詮高裁の判決だ」ということになったでしょうし、仮に最高裁の判決が出たとしても「いつ判例変更があるかわからない」ということになったのではないかと想像します。
 
 また、医師の皆さんから見れば、裁判所は裁判所、警察は警察(ついでに検察は検察)ということで、警察の捜査を法律で縛る方法がない限り、安心できないということなのでしょう。
 この点についても、裁判所の判断は、その手続的上流に位置する検察や警察の行動に大きく影響するという指摘を何度もしてきましたが、それも医師の皆さんに対してはあまり説得力がないようです。

 ということで、立法の問題になるわけですが、

 やはり謙抑的な捜査や告訴がどのようなものか法律で決めてもらわないと、ある種の医療行為は常に業過致死の捜査対象であり続けることは解決すべき問題と立法府に感じてほしいと思います。

と内科の医者 さん(たぶん、他の多くの医師の皆さんも)はおっしゃるわけですが、医師の皆さんは「立法府」というものをどのように認識されているのでしょうか?
 具体的には、国会議員です。多くの国会議員は医療についてはど素人でしょう。
 そして、国会議員の行動は、有権者の意向に強く影響されます。ここで問題になる有権者のほとんども医療についてはど素人でしょう。
 つまり、医師の皆さんが安心できるような法律を作ろうとすれば、まず、医療ど素人の有権者や国会議員の医療に対する理解、医療に対する信頼を得る必要があることになります。
 専門性の高い医療についての理解を求めることは容易ではありませんから、実質的に重要なのは医療ないし医師に対する信頼であることになります。
 私は、常識的な感覚として、信頼の最大の根拠は誠実さであるとの考えのもとに、いくつかのエントリで医療側に対して「誠実さ」や「信頼」の重要性を訴えました。
 ところが、それに対しては、司法は医療に誠実さを要求するが自らはどうなんだ、というような否定的なないし反論的な反応が多く返ってきました。
 しかし、敢えてもう一度言います。
 大野病院事件判決は医師の医療行為に対する信頼を前提にしていると思われます。
 検察は、その判決に対して控訴しないという行動で裁判所の判断を受け入れる意思を表明しました。その意思表明の中には、医師に対する基本的信頼があるものと思われます。
 モトケンが勝手に思っているだけだろうという意見があることは承知の上で言っています。
 安全調(事故調)の議論も、医師に対する基本的信頼がなければ成り立たないものだろうと思います。
 法務・検察や警察の首脳の「医療事故に対する慎重姿勢」の発言も、事故調の議論を踏まえたものと理解出来ます。
 つまり、今は医療界にとって追い風が吹いていると言ってもいいのです。

 しか~~~~~~~~~~し、
 
 もし、今、病院の倫理規定を無視して功名心に走ったとしか見えない(本人の気持ちはともかくそうとしか見えない)医療事故が起こったらどうなりますか? 
 そして、 もし、今、医療事故についてカルテの改ざんや口裏合わせがあったらどうなりますか? 
 そして、そのような医療事故やカルテの改ざんに対して医療界が目に見える具体的な自浄行動に出なかったらどうなりますか?

 医療界や医師に対する基本的な信頼というものは吹っ飛ぶでしょうね。

 医師のお手盛り審査機関になんか任せておられない。
 やっぱり警察にしっかりしてもらわないといけない。
 あやしい事故はみんな告訴だ。

というような事態が現実的に想定されます。

 ちょっと極端な例を挙げましたけど、要するに私が言いたいのは、

 医師の皆さんは医師以外の患者、患者予備軍、国民、国会議員、裁判所、警察、検察を味方につけないと医師の皆さんが一番望む法改正なんか夢のまた夢じゃないんですか?
 そして、味方につける唯一最大の、そして医師として可能な行動は、医師としての誠実な医療なんじゃないんですか?

ということだったんですけど、あんまり通じなかったみたいですね。
 このブログおいてすら、自分の発言が医師以外の人が読んだらどう読めてしまうか、という意識が希薄なコメントが散見されたように思います。
 たしか、医師の皆さんに、「このブログで何のためにコメントされているのですか?」という問いかけをした覚えもありますが、どこに書いたか忘れました。

 それはともかくとして、可能な立法措置について若干述べてみようかと思いましたが、長くなりましたので、ポイントだけ書きます。

 まず、謙抑的な告訴を規定する法律は無理です。
 告訴は私人足る被害者の行為ですから、法律で告訴権を認めながら、それを慎重に行使しろ、とかできるだけ行使するなというような法律は非現実的です。
 患者側の告訴を抑止する最大の要因は、医療側の患者側に対する対応です。
 ここでも「誠実さ」はキーワードです。

 刑事司法権力に対する謙抑性を強調する立法としては二つ考えられます。

 刑事司法の謙抑性というのは、私の理解では、制度運用における権力側の原則的姿勢という意味合いが強いと思っているのですが、それを立法化するとなると、どこかの法律に「医師に対する捜査や起訴は慎重に行うべし。」と言うような規定を盛り込むことが考えられます。
 しかし、こんな抽象的な規定は、訓示規定または努力目標的な意味しか持ち得ませんから、はっきり言って気休めです。
 これで医師の皆さんが安心してくれるならこれほど安上がりなことはありませんが(それでも医療に対する信頼がないと絶対立法されない)、現状に鑑み、医師の皆さんはそれほどお人好しじゃないでしょう。

 より実効性のある立法となると、制度的ないし手続的変更が必要になります。
 最も極端な立法として、医師に対する完全刑事免責(これは謙抑性という言葉の範囲を超えると思いますが)があります。
 そこまでいかなくても、過失犯の親告罪化も議論の俎上にのぼります。
 実は、事故調の議論もその一貫です。
 しかし、「医師に対する完全刑事免責」を除いて、医師の皆さんが完全に安心できる法制度は実現不可能です。
 
 医療側から見れば、医療現場における刑事司法権力の介入はほとんど冤罪だと理解することが可能だと思われます。
 犯罪でない行為に対して、犯罪として捜査が行われたり起訴されたりしていることが納得できない、という主張はそう理解できます。
 しかし、冤罪のリスクを完全に排除することは不可能なのです。
 満員電車で通勤しているサラリーマンは、医師以上に冤罪リスク(痴漢行為)を負っていると言えます。

 理想を求めるのは大事なことですが、理想的な制度でなければ嫌だ、というのであれば現状を変えるチャンスをみすみす逃すことになるでしょう。
 その結果、医師の皆さんの不安感は、これまでと変わりません。
 少しでも改善できれば、すこしは安心できるかも知れませんが。

追記
 書きそびれていた結論めいたものをコメント欄に書きました。
 No.19 モトケン さん | 2008年9月26日 19:14 |
モトケン (2008年9月26日 09:12) | コメント(279) | トラックバック(0) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:医師はどうすれば安心するのか? - 元検弁護士のつぶやき



実質的に重要なのは医療ないし医師に対する信頼であることに<元検弁護士のつぶやき>

医師はどうすれば安心するのか?

 このエントリは、「医療事故書類送検報道」の 内科の医者 さんのコメントへの横レスですが、内科の医者さん個人宛というわけではありません。

 内科の医者さんの不安感というものは多くの医師の皆さんが感じておられるだろうと思われますので、たたき台として使わせていただきました。
 ただし、若干の皮肉混じりのエントリになりそうですので、そのつもりで読んでください。

 やはり、大臣コメントでは何を言っているかわからない、というのが正直な気持ちです。

 たぶんそうだろうと思って私なりに解説してみたのですが、ほとんど理解されない、というか信用されなかったみたいです。
 法務・検察と警察の両首脳が相次いで、異例のタイミングと異例の内容のコメント、しかも歩調を合わせるかの同趣旨のコメントをしたわけですから、いずれも思いつきや失言の類ではなく、周到に検討を重ねてタイミングを図った上での発言であることが、明確な根拠をもって言えるわけですが、医師の皆さんはどうしても「法律」というものの保障が欲しいようです。

 謙抑的とはどういうことかを法律にしてもらわないと、今までと変わらず医療現場での患者死亡が警察の捜査の対象になる条件がわからないままです。

 言葉の意味の誤解(言い換えれば私の説明力不足)と法律ないし司法制度に対する無知・無理解と言ってしまえばそれまでですが、

 まず、法律で、過失犯の処罰範囲について、医師の皆さんが安心できるような文章表現でその限界を画することは、至難の業です。
 過失犯規定そのものが、犯罪の成立要件としては本来具体的であるべきであるにもかかわらず、抽象的にしか規定し得ていないのです。
 できるものならとっくにやっている、ということです。

 医師の皆さんが望んでいることは、法律ではなく、裁判所による法律適用によって明らかにされるべきもので、大野病院事件判決はまさしく医師の皆さんの期待に応えたものだと思うのですが、そして私ほか数名の法律家は何度もそう言ったつもりですが、「所詮地裁の判決だ」ということであまり安心の根拠にはなっていないようです。
 不信感のサングラスで見れば、仮に高裁の判決が出たとしても、「所詮高裁の判決だ」ということになったでしょうし、仮に最高裁の判決が出たとしても「いつ判例変更があるかわからない」ということになったのではないかと想像します。
 
 また、医師の皆さんから見れば、裁判所は裁判所、警察は警察(ついでに検察は検察)ということで、警察の捜査を法律で縛る方法がない限り、安心できないということなのでしょう。
 この点についても、裁判所の判断は、その手続的上流に位置する検察や警察の行動に大きく影響するという指摘を何度もしてきましたが、それも医師の皆さんに対してはあまり説得力がないようです。

 ということで、立法の問題になるわけですが、

 やはり謙抑的な捜査や告訴がどのようなものか法律で決めてもらわないと、ある種の医療行為は常に業過致死の捜査対象であり続けることは解決すべき問題と立法府に感じてほしいと思います。

と内科の医者 さん(たぶん、他の多くの医師の皆さんも)はおっしゃるわけですが、医師の皆さんは「立法府」というものをどのように認識されているのでしょうか?
 具体的には、国会議員です。多くの国会議員は医療についてはど素人でしょう。
 そして、国会議員の行動は、有権者の意向に強く影響されます。ここで問題になる有権者のほとんども医療についてはど素人でしょう。
 つまり、医師の皆さんが安心できるような法律を作ろうとすれば、まず、医療ど素人の有権者や国会議員の医療に対する理解、医療に対する信頼を得る必要があることになります。
 専門性の高い医療についての理解を求めることは容易ではありませんから、実質的に重要なのは医療ないし医師に対する信頼であることになります。
 私は、常識的な感覚として、信頼の最大の根拠は誠実さであるとの考えのもとに、いくつかのエントリで医療側に対して「誠実さ」や「信頼」の重要性を訴えました。
 ところが、それに対しては、司法は医療に誠実さを要求するが自らはどうなんだ、というような否定的なないし反論的な反応が多く返ってきました。
 しかし、敢えてもう一度言います。
 大野病院事件判決は医師の医療行為に対する信頼を前提にしていると思われます。
 検察は、その判決に対して控訴しないという行動で裁判所の判断を受け入れる意思を表明しました。その意思表明の中には、医師に対する基本的信頼があるものと思われます。
 モトケンが勝手に思っているだけだろうという意見があることは承知の上で言っています。
 安全調(事故調)の議論も、医師に対する基本的信頼がなければ成り立たないものだろうと思います。
 法務・検察や警察の首脳の「医療事故に対する慎重姿勢」の発言も、事故調の議論を踏まえたものと理解出来ます。
 つまり、今は医療界にとって追い風が吹いていると言ってもいいのです。

 しか~~~~~~~~~~し、
 
 もし、今、病院の倫理規定を無視して功名心に走ったとしか見えない(本人の気持ちはともかくそうとしか見えない)医療事故が起こったらどうなりますか? 
 そして、 もし、今、医療事故についてカルテの改ざんや口裏合わせがあったらどうなりますか? 
 そして、そのような医療事故やカルテの改ざんに対して医療界が目に見える具体的な自浄行動に出なかったらどうなりますか?

 医療界や医師に対する基本的な信頼というものは吹っ飛ぶでしょうね。

 医師のお手盛り審査機関になんか任せておられない。
 やっぱり警察にしっかりしてもらわないといけない。
 あやしい事故はみんな告訴だ。

というような事態が現実的に想定されます。

 ちょっと極端な例を挙げましたけど、要するに私が言いたいのは、

 医師の皆さんは医師以外の患者、患者予備軍、国民、国会議員、裁判所、警察、検察を味方につけないと医師の皆さんが一番望む法改正なんか夢のまた夢じゃないんですか?
 そして、味方につける唯一最大の、そして医師として可能な行動は、医師としての誠実な医療なんじゃないんですか?

ということだったんですけど、あんまり通じなかったみたいですね。
 このブログおいてすら、自分の発言が医師以外の人が読んだらどう読めてしまうか、という意識が希薄なコメントが散見されたように思います。
 たしか、医師の皆さんに、「このブログで何のためにコメントされているのですか?」という問いかけをした覚えもありますが、どこに書いたか忘れました。

 それはともかくとして、可能な立法措置について若干述べてみようかと思いましたが、長くなりましたので、ポイントだけ書きます。

 まず、謙抑的な告訴を規定する法律は無理です。
 告訴は私人足る被害者の行為ですから、法律で告訴権を認めながら、それを慎重に行使しろ、とかできるだけ行使するなというような法律は非現実的です。
 患者側の告訴を抑止する最大の要因は、医療側の患者側に対する対応です。
 ここでも「誠実さ」はキーワードです。

 刑事司法権力に対する謙抑性を強調する立法としては二つ考えられます。

 刑事司法の謙抑性というのは、私の理解では、制度運用における権力側の原則的姿勢という意味合いが強いと思っているのですが、それを立法化するとなると、どこかの法律に「医師に対する捜査や起訴は慎重に行うべし。」と言うような規定を盛り込むことが考えられます。
 しかし、こんな抽象的な規定は、訓示規定または努力目標的な意味しか持ち得ませんから、はっきり言って気休めです。
 これで医師の皆さんが安心してくれるならこれほど安上がりなことはありませんが(それでも医療に対する信頼がないと絶対立法されない)、現状に鑑み、医師の皆さんはそれほどお人好しじゃないでしょう。

 より実効性のある立法となると、制度的ないし手続的変更が必要になります。
 最も極端な立法として、医師に対する完全刑事免責(これは謙抑性という言葉の範囲を超えると思いますが)があります。
 そこまでいかなくても、過失犯の親告罪化も議論の俎上にのぼります。
 実は、事故調の議論もその一貫です。
 しかし、「医師に対する完全刑事免責」を除いて、医師の皆さんが完全に安心できる法制度は実現不可能です。
 
 医療側から見れば、医療現場における刑事司法権力の介入はほとんど冤罪だと理解することが可能だと思われます。
 犯罪でない行為に対して、犯罪として捜査が行われたり起訴されたりしていることが納得できない、という主張はそう理解できます。
 しかし、冤罪のリスクを完全に排除することは不可能なのです。
 満員電車で通勤しているサラリーマンは、医師以上に冤罪リスク(痴漢行為)を負っていると言えます。

 理想を求めるのは大事なことですが、理想的な制度でなければ嫌だ、というのであれば現状を変えるチャンスをみすみす逃すことになるでしょう。
 その結果、医師の皆さんの不安感は、これまでと変わりません。
 少しでも改善できれば、すこしは安心できるかも知れませんが。

追記
 書きそびれていた結論めいたものをコメント欄に書きました。
 No.19 モトケン さん | 2008年9月26日 19:14 |
モトケン (2008年9月26日 09:12) | コメント(279) | トラックバック(0) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:医師はどうすれば安心するのか? - 元検弁護士のつぶやき



「国民目線の広報必要」と言うけれど>検事総長殿<元検弁護士のつぶやき>

「国民目線の広報必要」と言うけれど>検事総長殿

「国民目線の広報必要」 裁判員制度に向け検事総長(産経ニュース)
裁判員制度へ向け、広報態勢充実(毎日新聞 2008年9月18日 東京夕刊)

 事件広報について、樋渡総長は「従来はマスコミに対し、謙抑的に終始してきた嫌いがあり、国民に検察の活動を分かりにくいものとしてきた側面も否定できない」と指摘。捜査の秘密などは厳守しつつ「例えば起訴・不起訴処分の理由、裁判における争点などについて、踏み込んで丁寧に説明することは十分可能。真摯(しんし)に検討してほしい」と述べた。(産経ニュース)

 一生懸命リップサービスに努めておられるようですが

 起訴の理由について述べるとすれば、起訴の根拠となった証拠に基づいて述べることになると思いますが、その証拠の信用性があるとは限らず、将来の公判における弁護活動によって証拠能力(証拠にできる資格そのもの)や信用性が否定される可能性が常にあります。
 起訴直後に起訴の理由について不用意に述べれば、裁判員制度を前提にした場合、裁判員に対し不当な先入観念を与えることになりかねません。

 不起訴の理由を述べることについてもかなり深刻な問題が生じる可能性があります。
 わかりやすく痴漢事件を例にあげますが(痴漢事件の不起訴について記者会見をするかどうかはともかく例としてあげます。)、不起訴の理由として被害者の供述の信用性について疑問があるなどと言えば、最近のでっち上げ事件が連想されて、被害者が被疑者を陥れようとしたのではないかという疑念が生じかねません。
 証拠が不十分だと言えば、被疑者は本当はやっているんだけど証拠が足りないだけなんだなと世間的クロ認定をされてしまう恐れもあります。

 このように、「踏み込んで丁寧」な説明をしようと思うと、思いっきり神経を使いますし、下手な説明をすれば関係者の名誉等に重大は被害が生じる危険性があります。

 原則として各地検の次席検事が当たってきた報道対応については、現場の主任検察官にも担わせる考えを示した。(毎日新聞)

 こんな微妙な問題がある説明を不慣れな主任検事にさせていいんかいな、という素朴な疑問が生じます。

 これまで検察はものを言わなすぎだったことは確かだと思います。
 法曹三者の中で、裁判官と弁護士というのは、その資格を聞いただけで仕事の内容がかなりの程度イメージできますが、検察官の仕事というのはなかなかイメージしにくいと思います。
 単に、事件を起訴する怖い人くらいのイメージじゃないでしょうか。
 または刑事とほとんど混同されていたりして。
 その意味では広報の必要性は感じますが、そのやり方についてはよくよく検討したほうがいいと思います。

 国民目線というのは、検事総長がイメージしているようなものばかりではないと思いますので。
モトケン (2008年9月18日 20:15) | コメント(2) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:「国民目線の広報必要」と言うけれど>検事総長殿 - 元検弁護士のつぶやき


下手な説明をすれば関係者の名誉等に重大は被害が生じる危険性があります<元検弁護士のつぶやき>

「国民目線の広報必要」と言うけれど>検事総長殿

「国民目線の広報必要」 裁判員制度に向け検事総長(産経ニュース)
裁判員制度へ向け、広報態勢充実(毎日新聞 2008年9月18日 東京夕刊)

 事件広報について、樋渡総長は「従来はマスコミに対し、謙抑的に終始してきた嫌いがあり、国民に検察の活動を分かりにくいものとしてきた側面も否定できない」と指摘。捜査の秘密などは厳守しつつ「例えば起訴・不起訴処分の理由、裁判における争点などについて、踏み込んで丁寧に説明することは十分可能。真摯(しんし)に検討してほしい」と述べた。(産経ニュース)

 一生懸命リップサービスに努めておられるようですが

 起訴の理由について述べるとすれば、起訴の根拠となった証拠に基づいて述べることになると思いますが、その証拠の信用性があるとは限らず、将来の公判における弁護活動によって証拠能力(証拠にできる資格そのもの)や信用性が否定される可能性が常にあります。
 起訴直後に起訴の理由について不用意に述べれば、裁判員制度を前提にした場合、裁判員に対し不当な先入観念を与えることになりかねません。

 不起訴の理由を述べることについてもかなり深刻な問題が生じる可能性があります。
 わかりやすく痴漢事件を例にあげますが(痴漢事件の不起訴について記者会見をするかどうかはともかく例としてあげます。)、不起訴の理由として被害者の供述の信用性について疑問があるなどと言えば、最近のでっち上げ事件が連想されて、被害者が被疑者を陥れようとしたのではないかという疑念が生じかねません。
 証拠が不十分だと言えば、被疑者は本当はやっているんだけど証拠が足りないだけなんだなと世間的クロ認定をされてしまう恐れもあります。

 このように、「踏み込んで丁寧」な説明をしようと思うと、思いっきり神経を使いますし、下手な説明をすれば関係者の名誉等に重大は被害が生じる危険性があります。

 原則として各地検の次席検事が当たってきた報道対応については、現場の主任検察官にも担わせる考えを示した。(毎日新聞)

 こんな微妙な問題がある説明を不慣れな主任検事にさせていいんかいな、という素朴な疑問が生じます。

 これまで検察はものを言わなすぎだったことは確かだと思います。
 法曹三者の中で、裁判官と弁護士というのは、その資格を聞いただけで仕事の内容がかなりの程度イメージできますが、検察官の仕事というのはなかなかイメージしにくいと思います。
 単に、事件を起訴する怖い人くらいのイメージじゃないでしょうか。
 または刑事とほとんど混同されていたりして。
 その意味では広報の必要性は感じますが、そのやり方についてはよくよく検討したほうがいいと思います。

 国民目線というのは、検事総長がイメージしているようなものばかりではないと思いますので。
モトケン (2008年9月18日 20:15) | コメント(2) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:「国民目線の広報必要」と言うけれど>検事総長殿 - 元検弁護士のつぶやき


国選弁護人が目標の半数<元検弁護士のつぶやき>


国選弁護人が目標の半数

国選弁護人が目標の半数 準備に疑問 埼玉(毎日新聞 2008年9月9日 15時00分)

 来年5月に始まる裁判員制度で、埼玉県弁護士会(446人)が制度対象事件を担当する国選弁護人を募ったところ、登録を申し出た弁護士が当面の目標とする100人に対して49人にとどまっていることが分かった。県弁護士会執行部内でも、制度の是非を巡る賛否の対立があり、制度スタートまでに態勢を整えられるか疑問視する声が上がっている。

 いろんなところで歪みが生じているようです。
 何事につけ、軌道にのるまでが大変ですが、のせられるかどうかについての不安が生じています。
 「のせてはいけない」とか「のらないほうがいい」とか「のらなくてもかまわない」と思っている人がかなり多そうですから当然と言えば当然ですが。
モトケン (2008年9月18日 14:27) | コメント(2) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)


引用:国選弁護人が目標の半数 - 元検弁護士のつぶやき

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裁判員制度反対論_感熱紙コメント<元検弁護士のつぶやき>


裁判員制度反対論

 これもボツネタ経由です。
 「平権懇」連続学習会第4回 「裁判員制度を考える」に参加(ウェブ魚拓)
モトケン (2008年9月17日 23:38) | コメント(15) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)
コメント(15)
No.1 感熱紙(刑) さん | 2008年9月18日 03:24

裁判員制度を徴兵制になぞらえて批判する詭弁的な部分を除けば、ほぼ全面的に賛成できます。
特に
>裁判員制度は「必然性も必要もない」
は全く同意です。
我々も裁判員制度実施に向けて各種の準備を行っていますが、制度について知れば知るほど「この制度は何がしたいのだろうか?」という疑問しか湧いてこないんですよね。
このまま裁判員制度の運用を開始したとしても、日本の司法システムに無用の混乱を招き、予算と人員を浪費した挙げ句に、国民に致命的な司法不信を残しただけで終了、ということになりかねないのではないかと懸念しています。


引用:裁判員制度反対論 - 元検弁護士のつぶやき

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送信者 元検弁護士のつぶやき-2013

大谷昭宏氏の大野病院判決批判について<元検弁護士のつぶやき>


大谷昭宏氏の大野病院判決批判について

 curiousjudgeのつぶやき経由で知りました。

 傲慢裁判官よ、畏れを抱け(大谷昭宏事務所)

 一読した印象として、

 これが有名なジャーナリストの裁判制度についての理解なのか!?

 という驚きを感じるとともに、

 これほど見事なブーメランも最近珍しい。

 と思っています。

 ちなみに、このエントリのカテゴリは、マスコミ問題にしました。

すぐに追記

だからと言って、プロが何十年と培ってきた知識や技術を2年半で理解するというのは土台無理な話なのだ。

 要するに、大谷氏は、医療事故に対しては、警察や被害者側弁護士を含めて司法は口を出すな、と言っているように読めます。

 そもそも患者の脈や血圧を計った経験のある判事は一体、何人いるのか。

 噴き出すのぐっとこらえて、人を殺したことのない裁判官は殺人事件の審理をしてはいけないのだろうか?という疑問を呈するのは揚げ足取りだろうか?
モトケン (2008年9月13日 17:29) | コメント(51) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)


引用:大谷昭宏氏の大野病院判決批判について - 元検弁護士のつぶやき

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まとめサイト立ち上げの提案(協力者募集)<元検弁護士のつぶやき>


まとめサイト立ち上げの提案(協力者募集)

 このブログの膨大な過去ログについて、FAQやまとめサイトの必要性が以前から指摘されてきたところです。

 大野病院事件判決関連のエントリを契機として新しい読者が増えてきたように感じていますが、その分、過去ログを読んでほしいなと思うことが多くなった気もしています。
 そこでこれを機会に一念発起してまとめサイトを立ち上げようか、と頭の片隅に浮かびはしたものの、そんなこと一人でできるはずがないという現実あるわけです(^^;

 そこでまずお尋ねいたしますが、もしまとめサイトを立ち上げるとした場合、協力していただける方はありますでしょうか?

 今私の頭の中にプランとしては、システム的にはMovable Type しか知りませんので(つまりウィキはほとんど知らない)MTを前提にしますが、

 ウェブから利用できるMTの検索機能としては、
   Google を利用した全文検索
   PHPを利用したデータベース(MySQL)への直接アクセス
   (これはすべてのデータにアクセス可能)
が利用可能です。

 インデックス機能としては
   カテゴリ検索
   タグ検索
   キーワード検索
   カスタムフィールド検索(たぶんできると思われ^^;)
が利用可能だろうと思います。
 実際には、カテゴリとタグしか使ったことがありません。

 ブラウザのページ内検索を使うという手もありそうです。

 そこで、まず何人かのコアメンバーを決定し、ブログの管理権限を付与します。
 管理権限を付与しますので、コアメンバーは私には実名を明らかにしていただく必要があると考えています。
 そして、コアメンバーによって、カテゴリやタグとして使う文言を決定していただきます。
 
 その上で、さらに何人かのボランティアの皆様に、ブログへの投稿権限を付与して重要なコメントの収集や分類をしていく。

 というようなことを考えているのですが、コアメンバーまたはデータ収集ボランティアとして協力してもいいという方がおられましたら、このエントリのコメント欄に申し出ていただけませんでしょうか。
 その他、まとめサイトに関するご意見、ご提案などありましたらそれも投稿願います。
モトケン (2008年9月11日 12:56) | コメント(38) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)


引用:まとめサイト立ち上げの提案(協力者募集) - 元検弁護士のつぶやき

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被告人(医療側)が弁護人に医療の実情というものをきちんと説明し<元検弁護士のつぶやき>


医療側→司法側

 大野病院事件の判決を読んでみると、裁判所は、医療の不確実性や本来的危険性というものをきちんと理解していることが読み取れます。

 このことは、被告人(医療側)が弁護人に医療の実情というものをきちんと説明し、その説明を弁護人(司法側)が理解し、弁護人は自らが理解した医療の不確実性や本来的危険性を裁判官(司法の主体)に向けて説明・説得に努め、それが成功したことを意味します。

 言い方を変えれば、司法側は医療側の主張や説明に耳を傾け、それを理解したと言えるのであり、医療側から司法側に向けたコミュニケーションが成立した事例と見ることができます。

 それに対して、司法側から医療側に対して司法制度を説明してきたこのブログの「司法側→医療側」のコミュニケーションは、絶望的に失敗しているように感じる今日この頃です。
モトケン (2008年9月10日 12:07) | コメント(62) | トラックバック(0) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)


引用:医療側→司法側 - 元検弁護士のつぶやき

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