事件報道が、ほとんど警察・検察からの情報のみに依存し、警察・検察による世
論誘導を可能にしている現状は極めて憂慮すべき事態です<元検弁護士のつぶや
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弁護士のマスコミ対応
弁護人は被疑者との接見内容をマスコミに話してよいか?(法と常識の狭間で考えよう)
「弁護人は被疑者との接見内容をマスコミに話してよいか?」(弁護士落合洋司の「日々是好日」)
広島の女児殺害事件の弁護人のマスコミ対応に関して、弁護士のビートニクス先生と落合先生が記事を書いておられます。
両先生とも、直接的には弁護人が被疑者との接見内容(被疑者と弁護士との二人だけの話の内容)をマスコミに話すことを問題にされていますが、この問題は、それだけにとどまらず、弁護士のマスコミ対応のあり方の問題だと思います。
両先生ももちろんその観点で意見を述べられています。その中で、接見内容を話すということが特に問題が多いのです。
私も、接見内容をマスコミに漏らすことについては、慎重の上にも慎重であるべきだと考えます。
ビートニクス先生は、被疑者の不利益の可能性を指摘しておられます。
落合先生は、「被疑者(被告人)の理解・承諾の範囲内かどうか」を重視しておられます。
いずれも弁護人としての基本的かつ最も重要な職責に関するご意見であり、この問題の前提とも言えるご指摘です。
その観点において、接見内容に関する限り、私もビートニクス先生と同様、広島の事件の弁護士は、「喋りすぎ」であるように思われます。
しかし、より広く「弁護士のマスコミ対応」という観点で考えると、話は少し変わってくるように思います。
マスコミ対応に関する弁護士のあり方としては、積極論と消極論があるわけですが、積極論の考え方の背景には、事件の社会性というものを意識しているのではないかと感じられます。
被疑者・被告人の利益との関係で言えば、報道内容や世間の目というものが検察庁の処分や判決に影響を及ぼす可能性というものを考えているのではないでしょうか。
それに対して消極論の考え方は、裁判というのは法廷における審理に基づいて裁判官がマスコミや世論の動向とは関係なく、法と証拠に基づいて裁判されるべきであると考えているように思われます。
いわゆる職業裁判官による裁判を前提にする限り、消極論が理念的に正当であるとしてより多くの支持を得られたかもしれませんが、裁判員制度の導入を前提に考えますと、現実論としてはそうも言っていられないように思います。
一般市民である裁判員が事前の報道内容や論調の影響をかなり受けることは不可避であるからです。
そうなりますと、事件報道が、ほとんど警察・検察からの情報のみに依存し、警察・検察による世論誘導を可能にしている現状は極めて憂慮すべき事態です。
ある事例を簡単に紹介します。
事件は、精神科病院に入院歴のある被告人による殺人未遂事件であり、事件の態様から見ても責任能力が争点になることが確実な事案でした。
ところが検察官は、責任能力には問題がないとして(問題にすらならないとして)精神鑑定をしない方針をマスコミに漏らしていました。
弁護人は、被疑者段階から被疑者がかなり重篤な病気であり早期処分(不起訴または起訴されたとしても早期結審)を図ることが被疑者にとって重要であると考え、また精神鑑定は事件により近い時期において実施するほうがより正確な鑑定が可能であるとして、検察に対して起訴前の正式精神鑑定を求めましたが、検察は応じませんでした。
そこで弁護人は、公判請求を予測して起訴後の立証に備える意味を含めて勾留理由開示を求めました。
勾留理由開示公判において、マスコミの記者たちははじめて自分たちの目で被疑者の姿を見ることになりました。
勾留理由開示公判の後に、ある新聞記者から聞いた話ですが、その記者は勾留理由開示公判以前は、警察・検察からの情報に基づき、責任能力に何の問題もない犯人像を描いていたそうです。
しかし自分(記者)の目で被疑者を見たことにより、そのようは犯人像が間違っていたことがわかったと言っておりました。
その後のマスコミ報道は、少なくとも警察・検察に迎合するような論調は影を潜めたように感じられました。
これからの刑事事件は、弁護人が、被疑者(将来の被告人)逮捕の瞬間から、捜査と公判の推移を予測し、マスコミの報道が裁判員の心理などにどのような影響を及ぼすかを考えながら、警察・検察の情報操作に対抗して積極的なマスコミ対応が必要になる場合が多くなるのではないでしょうか。
モトケン (2005年12月11日 10:33) | コメント(2) | トラックバック(5) このエントリーを含むはてなブックマーク (Top)
引用:弁護士のマスコミ対応 - 元検弁護士のつぶやき
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