検事正の本音はたぶんそうだろうと思います。現場に携わる関係者の多くの本音
もそうだと思います<元検弁護士のつぶやき>
死刑事件と裁判員制度(続)
アクセス元を辿っていくと、高知新聞のニュースが見つかりました。
裁判員制度勉強会 高知地検検事正が講演
高知地検の検事正が裁判員制度への理解を深める勉強会で講演したときの報道ですが、
制度の対象が死刑や無期懲役などの重大事件に限られている理由については、「殺人など社会的反響が大きく国民の関心が高い事件は、なぜこんな事件が起こったのか、背景は何なのかを法律のプロ任せにせず、審理に直接参加して知りたいと思うのが国民感覚だと思う」と、いわば“国民が望むから”という論理で説明した。
とのことです。
それに対して参加者の声として
参加した高知市内の女性(45)は「司法が身近に感じられるから制度には賛成」としながら、「実際に犯人が目の前にいたら、死刑とか重大な判決は下せないような気がする」と話していた。
と紹介されています。
やっぱりな~、という感じです。
検事正の認識と国民意識の実情は相当ずれている心配がありそうです。
モトケン (2005年10月30日 10:09) | コメント(5) このエントリーを含むはてなブックマーク (Top)
コメント(5)
No.1 通りすがり さん | 2005年10月30日 12:03
その検事正も、内心とは関係なく裁判員制度を宣伝する義務を負っているわけで、そうなると「公式見解」を言うしかないのでしょう。自分が望んでいない制度を押しつけられる関係者のご苦労を察してあげてください。
No.2 モトケン さん | 2005年10月30日 12:24
検事正の本音はたぶんそうだろうと思います。
現場に携わる関係者の多くの本音もそうだと思います。
にもかかわらず、どうしてこんなに拙速にことが進められるのか?
疑問の提示は公式見解を述べた者に向けられますよね。
公式な場で公式見解を述べた者に対する公式な場での疑問の提示は、公式な疑問の提示と言ってよいと思います。
問題は、その疑問の提示がその場限りで聞き流されてしまっていないかということではないでしょうか。
No.3 高野 善通 さん | 2005年10月30日 22:28
お久しぶりです。
ここで紹介されている「論理」自体が国民の意識とかけ離れているというのは私も同じ考えです。重罪事件だからこそ、真実を発見する(ということは、本当のプロが取り扱って事実を解明する)ことが求められているのに、それを「国民の常識」という曖昧な基準で判断させるというおかしな制度にしてしまった、しかも、この論理を「国民が望んでいる」というのが権力者たちの思想なら、権力者の思想自体が国民とかけ離れているとしかいいようがありません。
この勉強会に参加された国民は、制度に関心がある人が多いですから、「司法が身近になるから賛成」という意見があるのももっともだと思うのですが、重罪被告人が目の前にいるという状況は、国民にとって心理的負担が計り知れない(これが民事訴訟や比較的軽い事件の刑事訴訟とは比べ物にならない)し、注目事件だと外部からの影響も重大になります。こんな制度に国家権力の強権によって徴用する制度、私ならどんな合法的手法を駆使しても拒否する、それ以外にありません。
No.4 桑田 さん | 2006年1月 5日 00:43
裁判員制度に関して調べていたらここのサイトにたどり着いたので、書かせてもらいます。
なぜ、殺人など重大な事件だけと限定で裁判員が担当なのか。
ずっと疑問でした。
検事正と国民との認識のズレ・・・。
もともと、何のために行う制度なのか。
国民の意見を裁判に反映するというのが大きな課題だったのではないだろうか。
殺人などの重大な刑事事件ではなく、
もっと国民に身近な民事事件を裁判員に担当させたほうがいいんじゃないかと思いました。
No.5 モトケン さん | 2006年1月 5日 11:35
桑田さん
コメントありがとうございます。
私も、基本的に桑田さんと同意見です。
引用:死刑事件と裁判員制度(続) - 元検弁護士のつぶやき
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