2013年2月22日金曜日

責任能力を争うことくらいしか弁護のやり方がないというのが本音だろう<元検 弁護士のつぶやき>



弁護人の主張について

 ブログの紹介記事に対して洗足さんからコメントと質問をいただきました。

ところで、このような凶悪事件(山口県母子殺人など)において、被告が事件当時は自身は発狂状態で事件に対する責任は無い、と主張した場合どうなるのでしょうか?

というものです。

 まず最初に注意しておかなければいけないことは、主張はあくまでも主張つまり言い分であって、それが裁判で認められるかどうかは別問題であるということです。
 ネットでよくみる意見の中に、弁護士が心神喪失の主張をしたら、当然に精神鑑定が行われて無罪になってしまう、というような意見があるのですが、これははっきり言って間違いです。

 心神喪失というのは責任能力がないということですが、責任能力というのは平たく言いますと、やっていいことと悪いことの区別がついてやって悪いことはやめることができる能力という意味です。
 心神耗弱というのは今述べた能力が著しく低下している状態を言います。

 普通の人は皆、責任能力を持っています。
 責任能力があるのが原則であると言い換えてもいいです。
 ですから、責任能力がないと主張する側(刑事裁判では被告・弁護側)が、責任能力に疑いを生じさせる具体的な事情や状況をまず指摘するなり立証するなりしなければなりません。
 たんに、責任能力がないと言っただけでは、裁判所は耳を貸しません。

 ただし、多くの人が目を背けるような残虐非道な事件については、多かれ少なくれ常軌を逸している部分がありますから、それを指摘して責任能力を争い、精神鑑定を請求する事例が多くなります。
 ぶっちゃけた話をしますと、そのような残虐非道な事件においては、弁護人としても、責任能力を争うことくらいしか弁護のやり方がないというのが本音だろうと思います。
 紹介したブログで指摘されていますように、弁護人としては、とにもかくにも何か弁護できるところを探さなければいけないのです。
 母子殺害事件においても犯行の凶悪さだけから見れば、心神耗弱の主張くらいでてもなにもおかしくないと思います。
 精神鑑定の採否が別ですが。

 裁判所としても、残虐非道な事件に対しては死刑を含む重罰を考慮しなければなりませんから、勢い審理が慎重になり、念のために精神鑑定をやっておこうかという気になる場合が多いと思われます。

 しかし、宮崎勤の例でもわかりますが、心神喪失や心神耗弱はそうそう認められるものではありません。

 さきほど母子殺害事件においても責任能力に関する主張があってもおかしくないと書きましたが、現実的には、被告人が罪証隠滅工作をしていることから責任能力を争うことは困難だろうと思います。
 罪証隠滅工作というのは、自分の行為がやってはいけないことを認識している決定的な根拠になるからです。

 ですから、安田弁護士らもさすがに心神喪失または心神耗弱の主張はしなかったものと思います。
 弁護団としては、殺意を争うか責任能力を争うかの二者択一を迫られたと思いますが、司法解剖鑑定書を根拠に前者を選択したのでしょう。

 ただし、ただしです。
 他の弁護士の具体的な弁護主張を批判するのは気が引けるところがあるのですが(私は結構安田弁護士を批判してますが、そのほとんどは手続や訴訟進行に関するものです。)、記者会見までして主張されたことですので意見を述べさせていただきますと、どうも子供さんに対する殺意を否認する理由として

「赤ん坊については泣き止ますために首に紐でちょうちょ結びしようとしただけ」

という主張がなされているようですね。

  さすがにこれにはついていけません。

 母親に対する主張はそれなりに根拠が示されていますが(説得力の有無をともかく)、ちょうちょ結びの根拠はいかなるものなのでしょうか。
 もし被告人の弁解以外に何の根拠もないのであれば、この主張(その表現を含めて)は、あらゆる面において逆効果のように思われます。
モトケン (2006年4月23日 16:04) | コメント(2) | トラックバック(1) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

引用:弁護人の主張について - 元検弁護士のつぶやき


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