2013年4月15日月曜日

「司法改革とメディアの責任」。4月11日付け朝日新聞朝刊「社説余滴」の、こ の見出しを見て/元「法律新聞」編集長の弁護士観察日記

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"Title : 「司法改革とメディアの責任」。4月11日付け朝日新聞朝刊「社説余滴」の、この見出しを見て/元「法律新聞」編集長の弁護士観察日記
"Cats : 社会・世相・時代の参考情報
"Tags : 司法改革,メディア
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「司法改革とメディアの責任」。4月11日付け朝日新聞朝刊「社説余滴」の、この見出しを見て、司法改革関連の論評では弁護士の間からは批判の的になってきた渡辺雅昭氏(元・司法社説担当、現・同紙さいたま総局長)も、司法試験合格3000人方針撤回の現実を前に、何かをお感じになられたのかと思いましたが、残念ながら、そういうことではなかったようです。

 警察や検察に真相解明を求め、犯行に至る動機やいきさつがはっきりしなかったならば「闇が残った」といい、自白の強要など捜査の行きすぎを批判しつつ、無罪判決が出れば当局に猛省を促し、有罪率99%の刑事裁判を「異常」として、誤判は「あってはならない」という――。こういうマスコミの指摘について、渡辺氏は「局面、局面ではもっとも」でも、「社会は、捜査や裁判に何を求めているか、求めるべきなのか」を考え込んでしまったというのです。

 一瞬、この人は一体何を言っているのだろう、と奇妙な気持ちに陥りました。要は、裁判の場は、国民の「納得」を求めることを目的とする場ではない、ということではないですか。国民の「納得」になにやら引きずられ、そのことをきっちり伝えてこなかったことで、混乱しているように見えるのです。彼は、こんな不思議なことも言っています。


引用:元「法律新聞」編集長の弁護士観察日記 本当の「メディアの責任」



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