2014年6月24日火曜日

平成3年11月、被告訴人安田敏が自ら乗務している大型ウィング車で、わざと工 事現場に突入したと思われる件について_2014年6月24日


2014-06-24 火 15:15 [ ←これからの記述範囲の開始時刻]]

内容としては*裁判資料​/平成4年​/平成4年4月11日付被告発人・被告訴人TTKの供述調書(テキスト)について_2014年6月24日の続きにもなります。

たまたま被告訴人東渡好信の娘らしい女性の姿を見かけてすぐに 2階の事務所に上がり、たぶんそれからすぐのことであったと思いますが、被告訴人安田敏がその2階の事務所に入ってきました。トラックが動かなくなったというような話を始めたと思います。

なにか要領を得ない説明でしたが、会社の近くということですぐにその場に向かいました。その時点で外はすっかり暗くなっていたと思います。たぶん11月の中頃か、あるいは上旬のことなので割と遅い時間だったと思います。

外から戻ってきて被告訴人東渡好信の娘らしい姿を見かけた時点で、外は暗くなりかけていたような気もします。二階に上がると被害者AAさんの姿もあったように記憶しておりますが、はっきりした時間帯というのは記憶にありません。

説明がややこしくなるので、Googleマップを利用して見取り図のようなものを作成したいと思います。

平成3年11月、被告訴人安田敏が計画の一環の行動として大型トラックを突入させた場所 https://mapsengine.google.com/map/edit?authuser=0&hl=ja&mid=zWXtOqvyZ-Jo.kUMv6UzSOEuU

上記のようにGoogleマップでマイプレイスを作りました。リンクを始めに開くと小さく広く表示され、ポイントが掴みづらいかとも思いますので、私が伝えたい状態でのスクリーンショットを作成しました。次の写真付きツイートです。

2014-06-24-154435平成3年11月、被告訴人安田敏が計画の一環の行動として大型トラックを突入させた場所.jpg pic.twitter.com/u0LbdDWxHq

普段通勤でも通っていた道路だとは思いますが、なにか側道の工事をやっていたような感じでした。交通の規制とかもやっていなかったと思うので、普通に車で通っていると工事をしていることも気が付かなかったと思います。

現場についた時にはすっかり夜という状態で月明かりもなかったと思います。周りには街灯のようなものもなかったと思うので、なにがどうなってトラックが動かなくなったのかさっぱりわからない状態でした。

被告訴人安田敏本人は、たしかトラックをUターンさせようとバックをしていたらタイヤがはまって動けなくなってしまったと言っていたと思いますが、そもそもそんな場所でUターンをする必要性も理解できるものではありませんでした。

かすかな記憶ですが、初めは被告訴人安田敏を含め3人ぐらいで歩いて現場に向かったように思います。どのような状態でトラックが動かなくなっていたのかも思い出せないのですが、かなり手こずる状態ではあったと思います。

しばらくすると割と大勢が集まってきました。多かったのは金沢市場輸送の事務所で麻雀をやっていたと思われるメンバーでした。細かいことは記憶が薄れているので思い出せませんが、10人以上は集まったと思います。

はまったトラックを引き出すのに活躍したのは金沢市場輸送の配車係兼社長だった被告訴人本恒夫でした。昔、暴走族がよく着ていた特攻服のような作業服姿であったことも印象に残っていますが、引き上げが成功する前後には、一時的な土砂降り雨が降ってきたのも印象的でした。

あの土砂降り雨だけは人為のなせることではないと思いますが、相当に激しい雨でした。ワイヤーをかけて別の大型トラックで引っ張ったように思います。雨は偶然と思いましたが、余りに手際が良かったので、その時点でも予定していた行動を実演したのかという考えも 浮かびました。

強い雨が降りだしたこともあり、引き上げが成功するとすぐにその場で人が帰って行きましたが、被告訴人安田敏は誰一人に対しても、お礼やねぎらいの言葉をかけることはありませんでした。

神妙にも見える態度で黙り、深く何かを考えている様子には見えていました。一般的な理解だと運転でミスをしたことを悔いているのかと思えるところですが、そうでもなさそうな気はしていました。

会社に戻ってから2階に上がり、流しやトイレがある間仕切りの前の辺りにいたのですが、長い時間考え事をしていた様子だった被告訴人安田敏が、口を開きぽつりと、「あの女、東渡の娘やってんなぁ」としみじみ感慨深そうつにつぶやいたのです。

そのあとだったと思うのですが、私が「手伝ってもらったらありがとうぐらいいえや」というと、被告訴人安田敏は「そんな言葉、長い間つこうとらんし、忘れてしもうたな」などと言っていました。

挑発混じりの非常識な言動ですが、このあたりが本格的な始まりだったように思います。徐々に感覚が狂わされたようなところもあったかと思いますが、被害者AAさんのことでも否定的に挑発したり、人の心をかき乱すような発言、言動がありました。

「あきらめや」というのも呪文のような口癖として繰り返していましたが、つねに否定の一辺倒だったわけでもなかったです。具体性のある重要な発言なので、これも独立した見出しの項目にしておきたいと思いますが、手編みのセーターの話です。

被告訴人東渡好信や輪島の浜上さんから、被告訴人安田敏がスピードを出して危険な運転をしているので、注意をしたほうが良いと言われるようになったのも、工事現場突入の前後だったと思います。あるいはもう少しあとのことであったかもしれません。

被告訴人松平日出男からも同じようなことを言われましたが、三人とも被告訴人安田敏には気を使った様子で、直接注意をすることはなく、私から注意をするようにやんわりと言ってきたのです。

12月になって普通に雪が降る時期になってからだったと思いますが、その時も被告訴人安田敏がスピードを出して危ない運転をしていると被告訴人東渡好信から言われた時だったと思いますが、被告訴人安田敏は吹雪の中、関越道をゆっくりと走っていると当然のことのように話していました。

どれぐらいのスピードを出しているのかと聞くと、80キロというのですが、彼はそれをものすごくゆっくりしたスピードのように話していました。市場の仕事をしていると吹雪でも80キロ以上で走行することはありますが、とてもゆっくりという感覚では通常ないはずです。

これも同じく平成3年の秋頃だったと思いますが、被告訴人安田敏の出勤の時間が遅いとか連絡が取れないと、苦情のようにこの時も、被告訴人松平日出男や被告訴人東渡好信が私に言ってきたことがありました。

電話を掛けても確かにつながらなかったのですが、後で聞くと電話機のコードを差込口から抜いているという話でした。

ちなみに被告訴人安田敏の家というかアパートの電話機ですが、当時でもほどんど見かけることのない、手回しのダイヤル式の黒電話でした。妻となった彼女のアパートだったので、そちらの持ち物だったのかもしれませんが、変わっているとは思っていました。

腫れ物に触るという感じではなかったですが、被告訴人安田敏が非常識なふるまいをしても、直接注意するものはおらず、紹介者である私の方にどうにかしろとか、どうにかしたほうが良いという、話を持ってきていたのです。

工事現場の話でもうひとつ書いておきたいことがあるのですが、被告訴人安田敏ではなくその場にいた人物の話です。独立した項目にするほど強い関連性があるという判断材料もないのですが、気になる存在の人物であり、多少なりとも事件との関連もあるかと思われる人物の一人です。

やはり独立した項目として配置しておこうと思います。被告訴人安田敏に関しては、平成4年2月14日の白菜散乱の件として項目を立て、工事現場突入以降の言動とつながりについても併せて記述をしたいと思います。

2014-06-24 火 17:15 [ ←これまでの記述範囲の終了時刻]]



0 件のコメント:

コメントを投稿