文字通り、「その」人を見る、その人個人の本質を見る、ということです<元検
弁護士のつぶやき>
「人を見る目」と「相性」
宇治小6女児殺害事件について、落合弁護士が容疑者のゼミ担当教授を、そして私が塾の経営者側の「人を見る目」を指摘し、それに対して落合先生のブログでも私のブログでもそれに対して批判的なコメントが寄せられています。
私は、昨日のエントリで
まさか大学生とはいえ大の大人が小学6年生とうまくいかないからといって、殺害に及ぶなどというのは想定外だったかもしれませんが(その意味で同情したいという気持ちもありますが)、もう少し適切な対応はなかったのかな、と思います。
と書いていますように、というかかなり微妙な書き方ですが、私の思いは、塾の経営者側に直ちに何らかの責任を問うべきというより、場合によっては事件を防ぐことができなかったのかな、という繰り言めいた感想であったのです。
但し、コメントの中で気になることが一つあります。
それは今回の事件を、容疑者と被害者との「相性」と捉えているご意見です。
私は、今回の事件を「相性」のレベルで考えることができません。
今回の事件は殺人事件なのです。
これは容疑者の資質、性格、人格の問題です。
事件が発生するまでは、周囲の人間としては、容疑者と被害者との「相性」の問題と見ていたかもしれませんし、それは無理もない面もあったかもしれませんが、事件発生という事実に基づいて見る限り、「相性」の問題ではなかったのです。
結果論的な意見であることは重々承知していますが、結果の重大性を思うとき、残念な思いがしてなりません。
ただし、今日の京都新聞でも指摘されていましたが、一度何らかの犯罪を犯したからといって、殺人予備軍のレッテルをはったりして社会から排除するような風潮が生じることは厳に戒められなければならないと思います。
「人を見る」とはレッテルは貼ることではありません。
文字通り、「その」人を見る、その人個人の本質を見る、ということです。
決して簡単なことではありませんし、私なら見抜けたなどと言うつもりも全くありません。
現時点では具体的な判断ができるだけの情報は全然不足していますが、少なくとも教育現場というのは、教える側には人を見る目がより求められますし、教師を採用する側にも人を見る目がある人間かどうかを見る目が求められていると思います。
もちろん、何の手がかりもなしに人を評価することは不可能ですし、十分な資料もなしに適切な評価を下すこともできませんが。
【関連報道】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051214-00000005-kyt-l26
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051214-00000006-kyt-l26
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051215-00000016-kyt-l26
モトケン (2005年12月14日 21:00) | コメント(6) | トラックバック(1) このエントリーを含むはてなブックマーク (Top)
引用:「人を見る目」と「相性」 - 元検弁護士のつぶやき
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