2013年2月25日月曜日

ここでいう説明責任とは法律の専門家に対するものではなく、ど素人の当事者に 対するものだ<元検弁護士のつぶやき>



「判決短すぎ」減点評価

「司法のしゃべりすぎ」の判事「判決短すぎ」減点評価

 横浜地裁の井上薫判事の判決の理由が短すぎるとして再任問題になっているようです。
 報道から井上判事とその上司にあたる浅生重機地裁所長の主張ないし考えを見てみました。

所長

関係者によると、横浜地裁の浅生重機所長(63)は昨年11月、井上判事に判決理由の短さを指摘し、改善を勧告。今年7月の個人面談を踏まえた人事評価書で「訴訟当事者から判決文について不満が表明されているのに、改善が見られない」などと記載した。

井上判事

これに対し、井上判事は9月中旬、人事評価への不服申立書を地裁に提出。「判決文の短さを理由にマイナス評価をするのは、裁判官の独立を定めた憲法に反する」と主張した

所長(一般論として)

「人事評価の内容は本人以外には明かせない」とした上で、「判決理由が極端に短ければ、当事者が『自分の主張を受けとめてくれたのか』と疑問に思うのは当然。当事者から不満が出れば、所長が本人に指摘することはありうる」

井上判事

井上判事は「判決の長さについて定めた法律はなく、法令に違反していない裁判官をやめさせることはできないはずだ」

なお

判決文のうち、結論を導き出すのに必要のない傍論部分は「蛇足」で不要だというのが、井上判事の持論。

 判決の内容ではなく、判決の理由の長短を問題にする限り、「裁判官の独立」の問題ではないと思います。
 判決理由の長短にかこつけて実質的には判決内容を問題にするというのであれば「裁判官の独立」の問題になりますが、ここでは判決理由の長短の問題として書きます。

 井上判事は、「判決の長さについて定めた法律はない」と主張していますが、民事訴訟法253条は、判決書には理由を記載しなければならないと規定しています。

 なぜ理由を記載しなければいけないかというと、常識的に考えても明らかですが、判断の根拠を示すことだけではなく、当事者特に敗訴当事者を説得し納得させるためのものだと考えられます。
 もっとも敗訴当事者というのはどんなに懇切丁寧な理由が書かれていたとしても負けたという一事をもって裁判または裁判官に不満を持つものですが、どんな理由で負けたのかがわからない判決は論外です。
 理由がわからなければ上訴すべきかどうかの判断もできません。

 つまり裁判官には説明責任があるということです。
 裁判が紛争解決のための手段であるならば(三ケ月章先生の持論ですが)、当事者の納得を目指して説明責任を尽くすことが裁判官に求められていると思います。

 もし、井上判事が説明責任を果たしていないと認められるならば、裁判官としての姿勢ないし資質に問題があると指摘されてもやむを得ないのではないかと思います。

 判決理由が短くてもきちんと理由が書いてあればよい、という意見もあると思いますが、当事者から「理由がわからない」という不満が頻繁に出ているのならば、やはり説明責任は尽くされていないと見るべきでしょう。ここでいう説明責任とは法律の専門家に対するものではなく、ど素人の当事者に対するものだからです。

 なお、ここで「傍論」を持ち出すのは筋違いだと思います。
 判決の法源性が問題になっている場面ではないからです。


 司法の民主化というのは、「国民にわかりやすい裁判」というところから始まると思うのですが。
モトケン (2005年10月31日 14:02) | コメント(4) | トラックバック(1) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

引用:「判決短すぎ」減点評価 - 元検弁護士のつぶやき


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