それは被告人の自己責任であって、弁護人が批判されるいわれはありません<元検弁護士のつぶやき>
「被告人を守るということ」と「被告人の自己責任」
前回のエントリ「刑事弁護について」で私は、「どんな被告人であってもその利益を守らなければいけない」と書きました。
「被告人の利益を守る」ということは、基本的には「被告人により有利な裁判を目指す」ということになります。
有罪よりは無罪を、有罪だとしても重い刑よりは軽い刑を目指すということです。
但し、「被告人に有利な裁判」と「被告人のためになる裁判」というのは常に一致するとは限らないと思っていますが、本エントリではこの問題には触れずに基本的な考え方を前提にして書いていきます。」
ともかく弁護人は被告人に有利な裁判を目指すわけですが、弁護人は被告人の意思や意向を無視して完全に被告人から独立して自分で弁護方針を決定するわけにはいきません。
なぜなら、裁判という手続で多大な時間を奪われ、実刑となれば判決の効力を受けて服役するのは被告人本人であって弁護人ではないからです。
従って、ある被告人の裁判において、裁判に臨む方針(=弁護方針)を最終的に決定するのは被告人であって弁護人ではありません。
弁護人は、いくつかある弁護方針について、その一つを選択した場合の利害得失を予測して説明しまたは助言はしますが、最終決定は被告人が行うべきことです。
弁護人は被告人が決定した弁護方針に基づいて、その実現を目指して弁護技術を駆使することになります。
ところで、弁護方針(裁判方針)というのは、有罪なら認める、無実なら争う、というような二者択一の単純なものではありません。
1.検察官の主張を全面的に認めて、ひたすら反省謝罪し、軽い量刑を求める。
2.犯罪の成立は認めるが、情状関係の事実については争って軽い量刑を求める。
3.犯罪事実の一部を争って一部無罪を目指し、軽い量刑を求める。
4.ほんとは無罪や一部無罪を主張したいんだけど、争うと保釈が認められないので、保釈を最優先して争わない。
5.言いたいことはたくさんあるけど、弁解しないほうが裁判は早く終わるし、執行猶予が期待できるので、なにも弁解しない。
6.全面的に争って完全無罪を目指す。
今思いつく範囲で列挙してみましたが、大雑把に数えても以上のような方針が考えられます。
そして、その中のどれを選ぶかを決めるのは、しつこいですが被告人です。
例外として、弁護人の判断が重要になる場合として、本当に責任能力に問題がある被告人についての心神喪失または心神耗弱の主張をする場合が考えられますが、ここでは原則論について話をすすめます。
上記の弁護方針は、いくつかを複合して選択する場合もあります。
そして、必ずしも裁判の全過程において一貫しているとは限りません。
被告人の思いや考えが変われば、弁護人の弁護方針もそれに応じて変わらざるを得ません。
それに伴い、弁護人が交代することも当然考えられます。
争わなければ軽い量刑が期待できると考えて(そのような弁護人の助言を受けて)、何も反論しなかった被告人が、控訴審までは予想通りであったが最高裁で極刑の可能性が出てきた場合において、それまでの方針を変更してそれまでは言わなかった主張(真実であれ思いつきであれ)を言い出すことは全く不思議でも不合理でもないことです。
そして方針変更に伴って弁護人が変わるということも、自然な成り行きです。
新たに選任された弁護人としては、その時点における被告人の方針に従わざるを得ません。
弁護人としては、仮に被告人の選択が誤っていると考えたとしても、助言をする必要はあると思いますが、助言にかかわらず被告人が方針を変えない場合には被告人の方針に従って弁護するということがその場合における「被告人を守る」ということになります。
そして、被告人が弁護人の助言に従わずに不適切な方針を選択し、その結果として不利な判決を受けたとしても、それは被告人の自己責任であって、弁護人が批判されるいわれはありません。
なお、以上は一般論です。
光市母子殺害事件の被告人と新旧弁護人がどのように考えているかは、推測の域を出ません。
モトケン (2007年9月 8日 09:36) | コメント(13) このエントリーを含むはてなブックマーク (Top)
引用:「被告人を守るということ」と「被告人の自己責任」 - 元検弁護士のつぶやき
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