その場の思いつきで口にして、最後には支離滅裂の言い訳をする被告人もいます<元検弁護士のつぶやき>
刑事弁護について
橋下弁護士が、ブログ(橋下徹のLawyer’s EYE)で意見を述べています。
で、私の意見はどうかということですが、オードリーさんに過去ログを読んでくださいと言った手前、私自身で少し自分の書いたエントリを読み直してみました。
こういう意見を書いています。
裁判員制度と安田弁護士的弁護
読み比べていただくと分かりますが、一見、よく似た意見です。
ほとんど同じに見えるところもあると思います。
しかし、私は橋下弁護士の主張する理由に基づいて、弁護団を懲戒すべし、という意見には賛成できません。
刑事弁護には、絶対にゆるがせにしてはいけないことが一つあります。
それは、被疑者・被告人の利益を守る、ということです。
その一点において例外は認められません。
つまり、どんな被告人であってもその利益を守らなければいけない、ということです。
具体的に言いますと、弁護人はたとえ依頼者である被告人が黒だと確信したとしても、被告人が「自分は無実だ」と主張する以上は、弁護人の立場にとどまる限り、有罪の弁論をすることは許されないのです。
無罪を主張する被告人の弁護人が、被告人の有罪を確信した場合にその弁護人はどうするべきか、という問題は、司法研修所の刑事弁護教育における重要かつ困難な問題で、これが正しいという答がありません。
こうするべしという答はありませんが、被告人は有罪であるという弁論をしてはいけないことについては異論を見ないはずです。たぶん、橋下弁護士もこの結論は認めるでしょう。
辞任というのも一つの考え方であり選択肢でありますが、辞任した場合は別の弁護士がその被告人の弁護人に就任しなければなりません。
結局、誰かが被告人の無罪の弁論をしなければならないことになります。
橋下弁護士の主張の当否は、以上を前提にして考える必要があります。
橋下弁護士は、
私の主張の骨子は、弁護士法上の懲戒事由である「弁護士会の信用を害する行為、品位を失う行為」の基準は、世間の基準だということです。
と主張しています。
この主張を、橋下弁護士のいう説明責任という観点から本件に即して言いますと
被告人の主張が変遷(内容が変わることです)した場合には、弁護人はその変遷の理由について、世間が納得できるように説明すべきである。
ということになると思います。
しかし、そんなことはいつもいつもできるわけではないのです。
話をさせるたびに話の内容がころころ変わる被告人がいます。
言い訳の矛盾を指摘されるたびに新たな言い訳をその場の思いつきで口にして、最後には支離滅裂の言い訳をする被告人もいます。
そんな被告人の場合は、世間が納得する理由など説明できるはずがありません。
納得できない理由ならいくらでも考えることができるかも知れませんが。
被告人の有罪を確信し、被告人の弁解がおよそ裁判官に採用されないことを分かりながら、被告人の主張を代弁している弁護人はそれこそごまんといるのです。
世間が理解すべきは、弁護人の仕事とはそういうものである、ということです。
このような弁護人の職責がいかに重要であるかは、この拙文をお読みの皆さんが無実の罪で逮捕・起訴され、マスコミはもちろん家族もあなたの有罪を信じてしまった場合のことを考えていただけると少しはおわかりになるのではないでしょうか。
自分はそんなことになるはずがない、とお考えの人も多いと思いますが、これまで冤罪に苦しんだ人たちは、逮捕される前は例外なくそう思っていたはずです。
補足しますと、弁護人が依頼者を有罪であると確信する根拠としては、検察官が収集した証拠に基づくわけですが、いかに強固に見える証拠であったとしてもそれは所詮警察・検察が収集した証拠であるわけですから、弁護人としてはそれらの証拠を無条件に信頼するわけにはいかないのです。
言い換えれば、弁護人は、被告人が有罪であるという自己の確信の根拠を常に疑わなければいけないのです。
そして、この弁護人としてのスタンスについては、例外を認めないことによってのみ冤罪防止の機能が働きます。
私が思いますに、橋下弁護士は、本当に悩ましい事件の刑事弁護をしたことがないのではないでしょうか。
たぶん、国選弁護事件は弁護士になりたてのころに問題のない自白事件を少しやっただけなのではないかと思えてしまいます。
刑事弁護人の苦悩を知らずに批判しているように思えます。
追記
こちら(「被告人を守るということ」と「被告人の自己責任」)もどうぞ。
モトケン (2007年9月 7日 22:22) | コメント(67) このエントリーを含むはてなブックマーク (Top)
引用:刑事弁護について - 元検弁護士のつぶやき
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