2013年2月6日水曜日

裁判官の良心と裁判員の良心<元検弁護士のつぶやき>


裁判官の良心と裁判員の良心

 先ほどアップしたエントリに引用した日本裁判官ネットワークオピニオンのページの伊東武是神戸家庭裁判所判事の意見の中に

死刑求刑事件  死刑求刑の事件にあたっても(めったにあるものではないが),どうしても,死刑という刑に反対ならば,あるいは,死刑まではどうしても踏み切れなければ,当然のことながら,それを主張すればよい。他の人に遠慮することはない。迷えば,ここでも被告人に利益に判断して,死刑ではなく,無期懲役などを主張すればよい。

というものがありますが、伊東判事は、裁判員にはいわゆる裁判官の良心と同様の判断基準を求めていないのかな、と感じました。

 裁判官には、憲法上「裁判官の独立」というものが認められており、

 憲法76条3項
 すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

と規定されています。

 そして、「すべて裁判官は、その良心に従ひ」の「良心」というのは

 裁判官個人の主観的な良心ではなく、客観的良心、すなわち、裁判官としての良心であると解されている。
 (芦部信喜憲法第3版P327)

とされています。

 私が受験時代に読んだ別の憲法学者の本には、「客観的良心」の例として死刑判決をあげ、裁判官の個人的見解としては死刑廃止論者であったとしても、現行法が死刑を定めている以上は、死刑に相当する罪には死刑を科すというのが裁判官の客観的良心に従うということである、というような説明があったと記憶しています。少なくとも私はそのように理解しています。

 しかし伊東判事は、裁判員に対しては死刑存廃の議論に関する裁判員個人の見解または信念に従って量刑意見を決めていいと考えているようです。
 憲法76条は裁判官に関する規定ですから、裁判員について別異の考え方をとったからといって直ちに憲法違反になるかどうかはわかりませんが、少なくとも2点の疑問があります。

 1点目は、一つの裁判体の中に、裁判に対する基本的なスタンスについて異なる者が混在していてもいいのだろうかという疑問です。
 裁判員制度とはそういうものだ、と言われればそれまでですが。

 2点目は、裁判員が自己の信念によって死刑を回避するというのであればそれは一つの見識ですし、制度設計上もそのような信念を組み込むことは不適切とは限らないと思いますが、単に、自分は人殺しになりたくないというような感情的な死刑忌避反応を助長することになるとしたら問題が生じるのではなかろうかという疑問というか危惧です。

 なお、引用の見解は、伊東判事の署名投稿ですので個人的な見解として読むべきものと思いますが、日本裁判官ネットワーク内では多数意見なのでしょうか?
 最高裁はどう考えているのでしょう?
モトケン (2008年6月27日 11:19) | コメント(61) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)




引用:裁判官の良心と裁判員の良心 - 元検弁護士のつぶやき

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