2013年2月4日月曜日

マスコミは他人の人生を食い物にすることによって利益を得ていると<元検弁護士のつぶやき>

実名報道問題

判決記事 裁判官が“注文”/実名報道訴訟 高裁那覇支部が文書(沖縄タイムス ウェブ魚拓)

 「実名報道→不起訴」で、福田 出さんが紹介してくださったニュースです。

 判決理由では報道側に「逮捕された事実を報道しておきながら、起訴猶予処分とされた事実などについて、もはやニュースバリューがないとして、これを報道しない姿勢にも、報道機関の在り方として考えるべき点があるように思われる」などとしている。

 刑事裁判の起訴状には、「公訴を提起する。」と書かれています。
 公訴つまり公の訴えです。
 公益性の存在が必要なわけです。
 
 起訴に対して不起訴は、起訴できない、または起訴すべきでない、または起訴するまでもない、という判断の結果として不起訴になるわけです。
 代表的な不起訴理由として、嫌疑不十分があります。言い換えれば証拠不十分です。
 灰色ということになりますが、刑事司法では灰色は無罪です。
 灰色の中には、限りなく白に近い灰色から限りなく黒に近い灰色までありますが、それは部外者にはわかりません。
 憶測で判断できないということです。
 いずれにしても、起訴すべきでない事案であり、被疑者は反公益性による非難を受けるべきではないのが原則であるはずです。
 公人たる立場で、疑われること自体が批判の対象になるような人もいると思いますが、多くの一般市民は捜査が終われば元の生活に戻れなければいけないはずです。

 起訴猶予というのは、犯罪行為の存在は認められるが起訴するまでもないという場合であり、最も典型的には軽微な交通事故で被害者との間に示談が成立したような場合ですが、本件のような場合も典型事例の一つです。
 要するに、当事者同士で紛争が解決されれば、公のものとして起訴するまでもない事件という判断に基づく不起訴であり、他人(当然マスコミも含む)がとやかく言うべきでないと認められたものです。
 つまり、起訴猶予も公の非難の対象にするべきでない事案ということになって、被疑者は再び日常に戻ることができるべきであり、刑事政策上もそのことが期待されます。

 しかし、逮捕時点での実名報道は、それだけで社会復帰の可能性を吹き飛ばす破壊力があります。
 刑事司法上では失う必要がない被疑者(その家族も含む)の人生が、マスコミの報道によってぶち壊されることになります。

 本当に実名を報道しなければならないのか?
 今報道しなければならないのか?

 マスコミの皆さんは真剣に考えていただきたいと思います。
 そうでないと、マスコミは他人の人生を食い物にすることによって利益を得ていると言われるべきことになります。

 
 ところで

 河邉裁判長は各報道機関に「御連絡」と題した文書を配り、「『教諭が過去に…の容疑で逮捕された』という事実だけでなく、『その後、起訴猶予処分(または不起訴処分)になった』という事実を盛り込んでいただけないものか、ご検討下さい」などと、異例の要請をした。

 これはまさしく異例であり、裁判所の中でもこのような裁判官の行為が許容されるかについて異論があるかも知れませんが、報道被害に対する深い憂慮の表れとして支持します。
 判決理由中で書くわけにはいかなかったのかという気もしますが、異例の方法をとることによってインパクトを狙ったのかも知れません。
 ひょっとして河邉裁判長は定年間近なのかしら(←これは憶測)
モトケン (2008年10月29日 17:32) | コメント(9) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top) 引用:実名報道問題 - 元検弁護士のつぶやき



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