2013年2月6日水曜日

被害者遺族の心情を基点として諸問題を判断した場合には<元検弁護士のつぶやき>


飯野奈津子解説委員の時論公論について

 「産科事故裁判からの問いかけ」

 主として医療側から強く批判されている、大野病院事件判決に関する飯野奈津子解説委員の持論公論が掲載されています。

 私から見ても批判すべきところがありますし、傾聴すべきところもありますが、とりあえず一番気になるところをコメントします。

 飯野解説委員の主張は、遺族である死亡女性の父親の主張(主張というよりは主として気持ち、思い)と医療側を対置して立論している部分が多いと感じられます。
 これは、光市母子殺害事件における、本村洋氏と弁護団を対置させた報道姿勢を思い起こさせます。
 いわゆる被害者遺族の心情を基点として諸問題を判断した場合には、その判断を一般化したらどうなるかという視点が欠落してしまう恐れを危惧します。
 同様の問題が光市母子殺害事件の報道について指摘されたはずですが、飯野委員はそのような指摘を理解できなかったのでしょうか?
 同じ過ちを繰り返しているように思われます。

 今回、執刀した医師は、手術の前に輸血や子宮摘出の可能性を遺族に説明しており、難しい手術であることは認識していたとみられます。それなのに、輸血血液も十分供給されず、一人しか医師がいない体制で、なぜ、手術に臨んだのか。手術の前に、大きな病院への転院や医師の応援要請を、関係者から助言されたのに断っていたことも、裁判の過程で明らかになりました。医師不足の中でも、医療機関が連携するなど、安全を確保する努力を重ねることが、医療側に求められているのだと思います。

 の部分ですが、例えば、問題が生じそうな帝王切開手術全てについて、「手術の前に、大きな病院への転院や医師の応援要請を」したらどうなるか、そんなことが可能なのか、可能とするためにはどうしなければいけないか、という問題点の指摘がありません。
 そして「医療側に求められているのだと思います。」と言って、その対応の全てを「医療側」に要求しています。
 飯野委員の言う「医療側」とは何なんでしょうか?

 医療側の皆さんからすれば、本件を「医療事故」と繰り返し書いているところも強い違和感があるところだろうと思います。

 しかし、裁判で無罪判決が出たからといって、今回の事故に問題がなかったわけではありません。

 飯野委員が無罪判決の論理をどのように理解しているのか、また医療現場における「事故」という言葉をどのように理解しているのか、本件のどの部分をもって「事故」と評価しているのか、などは必ずしも明らかではありません。

 全体として、「公論」と言うに値するかどうか疑問です。
モトケン (2008年8月22日 12:01) | コメント(31) | トラックバック(0) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)




引用:飯野奈津子解説委員の時論公論について - 元検弁護士のつぶやき

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