2013年2月17日日曜日

被告人に検察官に対するあらゆる反論の機会を保障しています<元検弁護士のつ ぶやき>



司法と世間常識のずれ

 ここで世間常識というのは司法のことをご存じない素人さんの常識という意味です。
 このブログのコメントでもそうですが、司法と世間常識のずれというものを指摘する人がかなりいます。
 そして、その意味するところは、光市弁護団の弁護方針を念頭におきつつ

司法と世間常識がずれていて司法は常識はずれなのだから司法は世間の常識に合わせるべきである。

と読める場合が多いです。

 しかしこれに対しては、「ちょっと待ってくださいよ。」と言わざるを得ません。
 これまで、このブログでも同様の問題がさんざん議論されてきたのでありますが、なにぶんコメント数が膨大なブログですのでコメントの山に埋もれてしまうことから、同じ議論が何度も繰り返されています。
 結局、何度も同じことを言わなければならないのですが、それもやむを得ないと考え、何度でも書くことにします。
 
 いわゆる世間の常識というのは、一般市民の間での日常の社会生活上の共通認識的規範だと思いますが、
 そもそも刑事裁判は日常的な場面ではありません。
 被告人が国家権力から罪に問われて、国家権力と戦っている場面です。
 死刑求刑事件なら、文字通り命がけで戦っているのです。
 こんな非日常的な状況の被告人に世間の常識に従うことを要求すること自体、非常識であるとすら思えます。

 そこで法律(刑事訴訟法など)は、この特別な状況である刑事裁判の仕組みを定め、検察官の起訴、つまり被告人は有罪だ、死刑だ、という主張に対して、被告人に検察官の主張に対抗するためにあらゆる主張を行うことを許容しています。

 ここで、刑事裁判における真実発見と正義の実現の仕組みを確認しますが、裁判官が検察官の主張が正しいと認めれば被告人は有罪となるのであり、裁判官が検察官の主張が正しいとは言えないと判断すれば有罪にはなりません。
 被告人の主張が正しいと判断する必要はないのです。
 検察官の主張と立証が成功してそれが裁判官によって正当と判断されるかどうかが問題なのです。
 そして、検察官の主張と立証の正当性を確認するために、被告人に検察官に対するあらゆる反論の機会を保障しています。
 被告人としては、自らの主張の正当性を立証する必要はなく、検察官の主張の正当性に疑念を生じさせれば足りるのです。
 これが疑わしきは被告人の利益にという意味です。
 そして、被告人の主張を代弁する職責を担う者として弁護人の制度を定めています。
 
 法律がこのようになっているのは、検察官は国家権力を背景として強力な権限を持つのに対し、被告人や弁護人には何の権力もないことから、少なくとも検察官に対する批判だけでも保障しようと考えているからだと思われます。
 言いたいことは全て言わせるというスタンスです。
 一見、荒唐無稽であろうとアンビリーバボーであろうと、論理的に矛盾していようと、その時点における証拠といかに矛盾していようと、主張の機会自体は保障しているのです。
 どんな主張も、主張をまってそれを検証してみないと真偽のほどはわからないからです。
 そして、真偽のほどを判断する資格を有しているのは裁判官(まもなく裁判員も含まれますが)のみで
す。
 そして、全ての事件について、被告人に反論と反証に機会を与えるという手順を文字通り例外なく踏む必要があります。
 この例外なく手順を踏まなければいけないということは法律で決まっているのです。
 そして法律は国民の代表である国会で制定されています。
 つまり、例外なく手順を踏まなければならないというのは国民の意思として法律で定められているのです。

 ところが、(その割合はともかく)国民の一部の人たちは(ごく一部の弁護士も)、自分たちの代表が定めた法律を忘れて、常識をふりかざし、そもそも常識が通用する基礎がない刑事裁判に対して、常識に従えと要求しています。

 現実問題としては、素人さんは法律を知らないのですから(だから素人)、的外れな批判をすることは無理もないと思いますが、このエントリを読んだ素人さんは、司法の世界は常識がそのまま通用しないところがあることを理解してほしいと思います。

 なお、念のため確認しておきますが、被告人及び被告人を代弁する弁護人が、一見荒唐無稽なアンビリーバボーな主張や、論理的に矛盾している主張や、その時点における証拠と矛盾する主張をした場合、弁護人が検察官の主張・立証を揺るがす程度まで、被告人の供述の合理性や論理的整合性や被告人の主張に合致する新証拠の提出ができなかったら、裁判所は最終的に被告人の主張は、荒唐無稽で信じがたく、非論理的で証拠に矛盾すると判断し、一蹴されてしまうだけです。

 法律は、被告人にあらゆる主張の機会を保障していますが、裁判所には証拠に基づく合理的な判断を要求しており、多くの裁判官は証拠に基づいて合理的な判断(どちらかというと検察官よりの判断)をしていると思っています。
モトケン (2007年10月 4日 15:05) | コメント(13) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

引用:司法と世間常識のずれ - 元検弁護士のつぶやき


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