2013年2月6日水曜日

多くの医師が長い時間をかけて積み重ねた医療の誠実さへの信頼も、一人の医師・病院の不誠実な医療行為、その後の隠蔽工作などによって、すべて瓦解しかねません<元検弁護士のつぶやき>


誠実な医療の重要性

 産科医無罪 医療の透明性高めたい(8月22日)

 これは、北海道新聞の社説です。


 臓器を取り違えて摘出したり、医療器具を体内に置き忘れたりといった医師の明白なミスで、刑事責任を追及するのは当然だ。

 だが、通常の医療における医師の裁量権にまで踏み込むのは捜査権の乱用と戒めたと言える。医療現場の実態を尊重した判決だ。

 この感覚は常識的なものだろうと思います。
 判決は、理論的にも「医療現場の実態を尊重した判決」と言っていいと思います。
 ここまでなら、特に紹介するほどの社説ではないのですが、私の目を引いたのは最後の2行です。

 医療にはリスクが伴う。だれもが納得できる結果を得られるとは限らない。だからこそ、医療の透明性と医療従事者の誠実な対応が必要なことを、今回の事件は示している。

 この社説の筆者が、どういう場面における「誠実な対応」を問題にしたのかは明瞭ではありませんが、社説を離れて私が思いますに、判決が加藤医師を無罪とした判断プロセスの中に、加藤医師の医療行為については誠実なものと認めたからではないかと想像しているのです。

 裁判所から見た誠実さという観点で言えば、本件と対置される事件が、慈恵医大青戸病院事件の判決です。
 慈恵・青戸病院事件 手術ミス死3医師有罪…東京地裁判決(2006年6月15日 読売新聞)

 大野病院事件の判決に示された論理が定着していくためには、なにより医療側の誠実な医療の積み重ねが大事だと思います。
 しかし、多くの医師が長い時間をかけて積み重ねた医療の誠実さへの信頼も、一人の医師・病院の不誠実な医療行為、その後の隠蔽工作などによって、すべて瓦解しかねません。
 その意味でも、患者の不信に応える医療の透明性は不可欠だと思います。
 
 どれだけ透明にしても「患者の不信」を払拭できないという意見があろうかと思いますが、それも積み重ねで解決していかざるを得ない問題だろうと思います。
モトケン (2008年8月24日 13:25) | コメント(262) | トラックバック(0) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)




引用:誠実な医療の重要性 - 元検弁護士のつぶやき

送信者 元検弁護士のつぶやき-2013

送信者 元検弁護士のつぶやき-2013



0 件のコメント:

コメントを投稿