2014年3月12日水曜日

平成4年の控訴審公判において初めて会った被害者の父親と兄 2014年01月07日


現在の私の記憶によると、精神鑑定後の公判というのは6月中ではないかと思っています。9月7日の判決との間に多くて2回の公判があったと考えられます。はっきり憶えているのは精神鑑定を行った山口成良金沢大学教授の証人尋問があったということです。この時は法定内に日差しが差し込む天候と記憶。

この時の公判かはっきり出来ないですが、他に公判において印象的なことが二つあり、どちらも精神鑑定後の公判であったと思います。まず一つは法廷の小島裕史裁判長の面前に、うずたかい書面が置かれ、それを小島裕史裁判長が満足そうに見つめていたと言うことです。見方に寄れば呆れ果てた表情にも。

それは私が作成して郵送で提出していた上申書に間違いないと思いました。かなり圧縮された印象も受けましたが、ざっとみたところ一つの綴りで30センチぐらいの高さはありそうでした。書面はある程度のできあがりを数回にわけて郵送していたはずです。

もう一つは木梨松嗣弁護士が法廷に白衣を着た医師のような人物を同伴させていたことでした。この時も小島裕史裁判長は、上機嫌な様子で、気さくに木梨松嗣弁護士に、どうかされたのですかという感じで軽く声を掛けたところ、木梨松嗣弁護士は真剣な感じで手短に、体調不良のように説明していた。

いずれも木梨松嗣弁護士のややこった演出のように見受けられました。医師の同伴は精神鑑定を受けた私の不安を、力強く払拭する手当のように見え、気合いのこもった誠実な態度に思えました。

その時の医師は割と若い感じで30代ぐらい、細身で背が高くみえました。普通、刑務官のような制服の上から羽咋を来ている姿というのは、ほとんど見ることがないと思いますが、実際、拘置所を含めた金沢刑務所内ではごく普通の光景で、また同じような背格好の医務の職員がいたのでなおさら印象的。

拘置所では週に3回ぐらいだったと思いますが、医務の職員が台車をおしながら、声かけの巡回をして、健康に不調がないか確認をしていたので、全くおなじみの光景だったのです。だいたい二人の白衣を着た医務の職員がいて、背が高いのは部下のような若い職員でした。

ともあれ、弁護士が白衣を着た医師を同伴して公判に臨むというのは普通にあり得ないと思えました。木梨松嗣弁護士に体調が悪そうな様子は全くなく、むしろしっかりと力強い毅然とした態度で医師を伴いながら法廷に入ってきたからです。既に小島裕史裁判長ら裁判官3人は席に着いていたはず。

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