2014年3月13日木曜日

平成4年の控訴審公判において初めて会った被害者の父親と兄 2014年02月23日


辰口の大型書店でUNIXに出会う本を買った頃というのは、平成10年の秋になるはずですが、それはちょうど被害者の父親のAKさん宛にゆうパックの段ボール箱一箱分のものを辰口から郵送した頃でした。細かくは記憶にないですが、郵便局から郵送したはずです。

それよりいくらか前になると思いますが、しばらくの間、松任市の旭工業団地にもちかい、主要道路の大きな交差点の角近くにある工場の現場に通う時期がありました。工場の名前は憶えています。以前はテレビCMもやっていたような気がするのですが、最近は社名を見かけなくなっています。

今も同じ場所に工場が残っているのか確証は持てないですが、Googleマップで調べてみます。その方が、情報も正確になるかと思います。私の曖昧な認識や記憶にこそ、意味がある場合もあると考えていますが、そういう必要はない問題です。

36.547277,136.574777 - Google マップ http://bit.ly/1mAgVHh 石川県白山市宮永新町316 ← この辺りかと思います。Googleで検索したのですが、工場というかその社名自体の情報が見かけられなくなっていました。

社名は「若狭美術印刷」だったと思うのですが、「わかさ」の部分はあるいは別の漢字になっていたかもしれないです。東蚊爪の運転免許センターの近くにも同じ会社の建物があったような記憶もあるのですが、建物も小さく工場という感じではなかったです。

8号線バイパスから来る道と金石から来る道が交差して、松任駅の近くや美川方面にもつながる大きな交差点が「宮永」であったことは今回調べて気がつきましたが、近くに北陸道の白山インターが出来ていることも初めて知りました。

近くの工業団地も旭工業団地という現在の私の記憶は間違っていて旭丘が正しいようです。Googleマップでは、旭丘工業団地という名称はないようで、石川県白山市旭丘付近の工業団地と出ました。安原工業団地とは違うようです。

宮永交差点付近の印刷美術の現場では、大きな鉄の配管の溶接が仕事のメインになっていました。大きくて重い配管を支えて仮づけするのを手伝っていたのですが、わざとなのかわからないもののM君に何度か感電させられたことも印象に残っています。

溶接作業の感電は電気ショックのような衝撃を受けます。また、溶接作業中にも感電で死亡事故が起こることがあり、昔ほど多かったとも被告訴人KYNらに教えられていました。

仕事に余裕が出来たような時期にも思えたのですが、被告訴人KYNが私に、アーク溶接の練習と免許の試験合格を強く奨めた時期がありました。だいたいは平成10年の夏の終わり頃から秋の初めの方の時期だったと思います。

今、被害者の父親AKさんが当時部長をしていた旭丘工業団地の鉄工所についてインターネットで調べてみました。現在はグループという形態になっているようですが、規模がそれほど大きくなっているとは思えずグループも2社のようです。

ホームページを見たのも平成11年以来になるかもしれません。ホームページの内容も以前とはまるで違った印象も受けます。当時はAKさんの名前も記載され、職業安定所などの求人広告でも、AKさんが面接の担当者のように名前が掲載されていました。

現在も能登工場が珠洲市内にあると紹介されていますが、住所が珠洲市三崎町になっていました。能登半島の先端に近い辺りですが地図で確認すると三崎のなかでは手前側のようでした。以前は確か住所が正院になっていたような記憶があります。

廃止前の鉄道では、飯田駅の次が珠洲駅、その次が正院駅で、次が終着駅の蛸島駅だったと思います。蛸島は大きな魚市場のある漁港です。蛸島の先には鉢ヶ崎海水浴場があって日本の渚百選の一つにも選ばれていると聞きます。現在は近くに大きなホテルもあるようです。

私が子供の頃というのは、珠洲市に行くのに宇出津は国道沿いの通り道だったのですが、平成に入った頃には穴水から珠洲市に向かう山沿いの道が主要道路になりました。珠洲道路という看板もありますが、昔は農面道路とも読んでいました。舗装のない箇所もあったぐらいで、裏道に近い感じでした。

珠洲市の中心部は昔から飯田ですが、珠洲駅のあった辺りは野々江という地名のようです、買い物などに用事で行くときは野々江の方が多いです。珠洲市総合病院もその辺りになります。携帯ショップ以外でどうしても珠洲に買い物に行く必要はないのですが。

2011年の12月一杯ということになるかと思いますが、宇出津新港にあった橋本ホームセンターが閉店しました。同じ建物にホームセンタームサシがオープンしたのは昨年2013年の春頃ではなかったかと思います。

1年3ヶ月ぐらいの間、私が住んでいる宇出津の町にはホームセンターが不在でした。シメノドラッグというドラッグショップもあったのである程度のものはまかなえましたが、ホームセンターに行くため、珠洲に行く機会も何度かありました。

決定的に珠洲に行く必要性が出来たのは、宇出津にあった能登警察署が珠洲警察署に統廃合されたことです。昨年だったかなとも考えたのですが、ネットで調べると一昨年の2012年4月になっていました。

ついでに説明を書いておきますが、5年ちょっと住んでいた羽咋市から宇出津に戻ったのが2009年の3月15日のことで、そのあと珠洲市とは縁がありました。まず5月から8月の3ヶ月の間、パソコンの職業訓練で珠洲市飯田に通いました。バスで通いました。片道で900円ぐらいだったと思います。

ちなみに宇出津にあって珠洲市内にないものが宇出津新港にある職業安定所でした。羽咋市から戻った当初は真剣に仕事を探していました。その過程で職業訓練のことを知り、珠洲市に通うことになったのですが、委託された鉄工所の一部屋のような教室で、受講生も10人弱だったと思います。

宇出津の周辺で本格的な職業訓練所という施設は松波にありました。応募の面接などで2,3度、松波の職業訓練所にも行きました。募集の時期もずれていたので、パソコンでは珠洲の教室以外の選択がなかったのです。

結果的にワープロと表計算、どちらも2級の検定試験に合格することが出来ました。バスに乗って珠洲まで合格証書のようなものを取りに行ったのが、8月の20日過ぎではなかったかと記憶しています。

それからわずかに一週間ぐらいあとのことだったと思います。前の日の夕食に母親とサンマを焼いて食べたのですが、その翌日の朝、寝ている部屋に何度声を掛けても返事がなく、おかしいと思って部屋を開けると、ベットの上で母親が、少しも声を出せないぐらいにもがき苦しんでいました。

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