2014年3月12日水曜日

平成4年の控訴審公判において初めて会った被害者の父親と兄 2014年02月07日


私が被告訴人KYNのところで配管設備の仕事をするようになったのは平成9年の11月頃だったと思います。被告訴人OKNの口利きというかたちというか、感じになっていました。初めにOKNが話を持ちかけたときは、KYNは仕事関係の人と沖縄旅行中でした。

昼にOKNとKYNの3人で、東京ストア西南部店の近くのそば屋で食事をしたときも、そのような話だったと思いますが、沖縄旅行の前か後かは憶えていません。旅行中を除き戻ってからは、割とあっさり話が決まったように思います。

被告訴人KYNの設備会社での最初の仕事は辰口町の和風のような大きめの旅館の雨樋の補修のような仕事であったと思います。たまたま仕事が終わりかけていたのか、この現場には2,3回しか行くことがなかったと思います。

辰口町は当時は能美郡辰口町だったと思います。現在は能美市になるのかもしれませんが、もともと辰口町自体が比較的大きな町だったので、違っているのかもしれません。金沢市内にも通勤可能なベットタウンのような一面もあったような気もします。

続けて連日のように行くようになった現場が、同じ辰口町の北陸先端大学でした。これはけっこう大掛かりな配管工事という感じでしたが、だいぶん前からやっている様子でもありました。K設備の応援の仕事でした。

K設備は被告訴人KYNの仕事仲間の一人でした。年は私たちより二つほど年上と聞いたようにも思います。私より二つほど年下の珠洲市蛸島出身という若者と二人で配管の仕事をやっていました。

会社といえるのかもわかりませんが、一人親方に近いような業務形態になるのかとも思われます。被告訴人KYNも私が入るまではK君と二人だけでやっていたので、ほとんど同じような感じでした。

違いといえば配管の加工をする作業場をK設備の方は持っていたと言うことです。事務所も兼ねていたと思いますが、プレハブの倉庫に近いような感じでした。周りには水田か畑が多かったので、農業機器とかビニールハウスのようなイメージも残っています。

もともと金沢市の外れか松任市の外れの海に近いあたり農村の人で自宅もそちらの方にあるというように聞いていたようにも思います。そのあたりはスイカなどを栽培する農家も多く、スイカを積みに行ったこともあったような記憶もあります。

金沢市内から美川町の方に行くのに御経塚の交差点からつながる道路を使うことがありましたが、その途中に近いあたりだったと思います。この道は途中で専光寺の方から来る道とも交差していました。左折すれば松任市内の駅の近くに入りました。

右折して専光寺の方に向かい少し行って左に入っていくと、そこは松任市の旭工業団地でした。さらに専光寺の方に進んで左に入っていくと、安原工業団地がありました。旭工業団地には被害者AAさんの父親AKさんが部長をする鉄工所がありました。

安原工業団地にはS設備がありました。被告訴人KYNの仕事仲間では一番大きな会社で細かくは忘れましたが10数人の社員という話でした。ほとんどが20代の若者で年配の人は少なかったです。社長とKYNは気のあった親子というような関係でもあり、共通したのは酒癖の悪さかかと。

私が被告訴人KYNのところで配管の仕事をしていたとき、一番大きな現場は石川動物園と辰口庁舎でした。石川動物園も山手の方でしたが辰口にありました。このどちらもS設備から請け負ったような仕事だったと聞いていました。

午前中Googleマップで調べたところS設備は今でも同じ場所にあるみたいでした。ストリートビューで建物の写真をみることもできましたが、余り印象は残っておらず、確かにこの建物だったという確信は得なかったです。住所は安原ではなく打木町東になっているようでした、安原に隣接しています。

他との区別もあるので以降、安原工業団地のS設備とすることがあります。文字数を減らすため、文脈によっては単にS設備とします。他にもう一つS設備と書く必要がある関連先があるからです。住所は若宮だと思っていたのですが、二口町の可能性がありそうです。

Googleマップで確認すると長田本町とも大豆田本町にも近いようです。私自身、金沢市の二口町と聞くと中央市場の側というイメージが強いのですが、かなり方角の違う場所です。若宮大橋に近いですが、この犀川に掛かる橋を含めた主要道路自体が、平成4年当時には影も形もなかったものです。

二口町と書くと私自身が勘違いする可能性もあるので若宮大橋の近くのS設備と書くことにします。こちらも被告訴人KYNの仕事仲間でした。社長というのは能登町姫の人だと聞いていました。Sというのは姫によくある名前です。全国的にけっこうありそうな漢字の名前です。

以前は遠洋漁船の漁師だとも聞いていたように思います。当時で50歳から55歳ぐらいだったでしょうか。年齢のことも聞いていたように思いますが、よく憶えていません。姫については小木と同様にこれまでも説明はしていると思います。

姫の人間であることは初めの方でしっていましたが、他の人間関係など聞かなかったし、聞かないようにもしていました。なぜなら気になる点が2つはあったからです。

姫のSさんは私たちのちょうど親の世代という感じでもありました。同級生にも同じSという女の子はいましたが、それ以外にもよく聞く名前でした。ただ、KYNの方からも誰それの知り合いなどという姫や周辺での人間関係を耳にすることがなく、世代が違うからと思いながらも少しは気に掛けていました。

若宮大橋の近くのS設備は、けっこうしっかりした感じの平屋の工場を作業場兼事務所にしていました。同じような建物が3つほど並んでいて、Googleマップのストリートビューで写真が見れましたが、自動車修理工場やバイク屋になっているような感じでした。

Sさんのところには他に二人の従業員がいました。安原工業団地のS設備は当時既に株式会社になっていたと思いますが、SさんのところはS設備であり、やはり社名とは考えにくいので社員というのはどうかという判断です。Sの部分はカタカナで4文字になっていたようにも思います。

一人は私と同じ年だったかもしれません。サザエさんのマスオさんのイメージも重なる感じで、見た感じ大人しくまじめそうな人でした。家が金沢市内諸江にあり、その家の前までは行ったことがあるのですが、中に入った憶えはないです。遊びに来るように誘われたこともあったようには思います。

もう一人は年配者で被告訴人KYNが山賊の親父と呼ぶ人でした。お互いに酒が好きで飲み仲間という関係も強そうでした。小柄でしたが野性的な感じで、軽量のプロボクサーとかジャングルに住んでいた旧日本兵というイメージもあったので、KYNもイメージから山賊と呼んでいたようです。

山賊という人は腕のよい配管の職人というイメージもありました。配管工の経験も長いようでしたが、前は別の仕事をしていたと聞いていたかもしれません。もとは安原工業団地のS設備にいたのを、姫のSさんが引き抜いたという経緯も聞いていました。

安原工業団地のS設備の社長は石川県鳳至郡穴水町の沖波の出身だと聞いていましたし、たしか山賊という人もその沖波か、その近くだと聞いていたと思います。話し言葉も能登の人間という感じであったと思います。

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