2014年3月12日水曜日
平成4年の控訴審公判において初めて会った被害者の父親と兄 2014年01月30日
先にS藤について書いておきたいと思います。割と最近まで思い出すこともなく、重要度も低いかと考えていたのですが、最近になって繰り返し思いだし考えるようになって問題の認識も変わってきました。
S藤ですが、私が最初に金沢市場輸送で見かけるようになったのは平成1年の9月頃ではないかと思います。イワシの運搬のM浦さんの愛人の息子が紹介で金沢市場輸送に入ったという噂話を耳にするようになったのと同じ頃だったような記憶になっています。
同じ頃に金沢市場輸送の運転手のY田さんの娘の彼氏というか婚約者が4トン車の持ち込みで金沢市場輸送の長距離の仕事をするようになったという話もあったと記憶しています。N口という若者でした。4トン車は日野の新車のトラックでした。保冷車でしたが冷凍機がついていたかは憶えていません。
このN口の方は噂話を耳にして早い段階で実際に姿を見ていましたが、M浦さんの愛人の息子というのは長い間顔を見る機会もなかったという記憶です。それは被告訴人YSKのことだったのですが、私は長い間、別の人物と取り違い勘違いしていたような憶えもあります。
被告訴人YSKは大柄で身長も180センチとかそれ以上あると聞いていたのでかなり目立つ存在でもあったはずです。しかしながら私が実際にYSKを会社で見かけるようになったのは、噂を聞いてからだいぶん後のことであったような気もするのです。
特に印象に残っているのは平成2年の2月か3月頃ではなかったかと思うのですが、金沢市場輸送の駐車場に雪が積もった寒い朝のことでした。YSKが2トン車を雪でスリップさせていたので、運転をかわって動けなくなっていたトラックを出してあげたことがありました。
その時に初めて見た顔ではなかったという記憶ですが、言葉を交わし接触したのはこれが初めてに近かったような気もします。それ以前にも、ちょっとは言葉を交わしたことがあったような気もするのですが、現在ではこまかく思い出せなくなっています。
平成1年の秋頃のS藤との関係も似たようなもので軽く言葉を交わす機会はあったと思うのですが、余り意識することもなく、細かいことも記憶に残っていません。ただ早い段階で、前に暴力団に入っていたヤクザ者だったとか、入れ墨を入れているという話は耳にしていた記憶があります。
そういえばS藤とは平成1年の秋頃の段階でバイクのことで話をしていたようなことを思い出しました。彼が400CCぐらいの中型バイクに乗って会社に来ていたことがきっかけだったような気がします。
私自身、同じ頃だったと思うのですが、ホンダのNSR250かスズキのガンマという2サイクルのレースマシンのような市販のバイクがむしょうに欲しくなり、自動二輪免許の再取得を真剣に考えた時期があったのですが、妻の反対と事情で断念したということがありました。
初めにあった頃のS藤は前髪を前に垂らした普通の髪型でしたが、あるいは少し茶髪にしていたかもしれません。顔つき自体が悪っぽい感じではありましたが、話し方などおとなしい落ち着いた感じでもありました。名古屋方面の話し方で、そちらから来たという話もしていたような憶えもあります。
入れ墨を見せてもらう機会もありましたが、まるでキャベツのような落書きであれほどひどいのは他に見た記憶がないほどです。素人彫りの入れ墨というのも見てはいたのですが、まるでキャベツにしか思えないもので、色合いもおかしい感じの入れ墨でした。
何時頃、どこで見たのかも記憶にはないのですが、一緒に銭湯に行ったという記憶もなく、上着を羽織らず半袖か長袖のシャツ一枚で過ごせる時期に、シャツを脱ぐではなく、引っ張って広げた状態で見せてもらったような気がします。キャベツみたいだったので強く印象に残っています。
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