2014年3月12日水曜日

平成4年の控訴審公判において初めて会った被害者の父親と兄 2014年01月16日


大型免許について細かく書いたのは、ついでに平成3年の被告訴人YSNの大型免許取得についても触れる必要があるからです。YSNの場合は大型免許の取得を目的に金沢市場輸送に入社し、市場急配センターで市内配達の仕事をするようになりました。

金沢市場輸送への入社が決まった翌日ぐらいには市場急配センターで市内配達をするようになっていたはずで、金沢市場輸送で仕事をする姿は一度も見ていないはずです。そのあたりの手回しのよさにも、なにか計画性があるのではと考えることがありました。

YSNは金沢市場輸送に入社するとき、大型免許の取得の費用と借金の返済にもお金が必要だと私に話していました。最初は20万円必要と話していたようにも思いますが、すぐに30万円に額を上げ、さらには50万円必要だと言い出して、すぐに金沢市場輸送との間で50万円の前借りが決まったはずです。

YSNは私の紹介というかたちで金沢市場輸送に入社が決まり、50万円の前借りをして、私がその50万円の保証人ということになりました。YSNの非常識で不可解な言動はそれにつれて始まりましたが、実際に給料引きで支払いを始めたのはその年の11月か12月のことだったと思います。

翌年である平成4年の2月14日には、私が北國銀行中央市場支店で25万円を降ろして、残債を完済する形で被告訴人MHK社長に、これで借金はなくなったのでいつでもクビにして欲しい、今後一切の責任は負えないと口頭で伝えました。それまでも色々あったのですが、当日の午前中にあったことが原因。

私の記憶は薄れているので説明も十分には出来なくなっていると思いますが、東名高速の豊橋インターで、50箱ぐらいの白菜をウィング車から散乱させたという話でした。これもにわかに信じ難い話でしたが、後ろに停車した観光バスの乗客が降りてきて、白菜を持ち去ろうとしたとも話していました。

被告訴人YSNの異常性について話が私の耳にはいるようになったのは平成3年の秋でした。なにか危険な運転をしているという話でした。私に注意するように言ってきたのも被告訴人MHK社長、それに配車係をするようになった被告訴人東渡好信、それに輪島のHさんでした。

出勤時間が遅かったり連絡が取れないという苦情を私に向けてきたのもその3人でした。とにかく私の方から被告訴人YSNに注意をして欲しいと繰り返し言うので、私の方から彼のアパートに電話をしたのですが、電話はつながらず、彼は電話の線を元から抜いているとも話していました。

当時彼が住んでいた金沢市内花里のアパートは、ちょっと変わっていて民家の2階の一部屋だけがアパートになっているという感じでした。8DKではなかったかと思います。割と広いダイニングキッチンと奥の一部屋だけでした。その部屋の奥の方の半分近くはベッドが占めていました。

ダブルベッドかセミダブルベッドでしたが、部屋自体が狭かったのでベッドが大きく見えていたようにも思えます。そのアパートの部屋はYSNが交際していた女性がもともと住んでいたももので、彼が転がり込んで同棲するようになったという話でした。車も彼女のものと聞いていました。

車種の方は忘れましたが1000CCか1300CCの小型車だったと思います。かなりポンコツな車で、内部も飾り気がなく小汚くも感じられまるで建設会社の現場通勤に使うような車という印象でした。YSN自身は車を所有しておらず共有していたので彼女が会社に送り迎えに来ることも少なくなかった。

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