2014年3月13日木曜日

平成4年の控訴審公判において初めて会った被害者の父親と兄 2014年03月02日


昨日、ピアノ運送のあった場所について調べていたところ一つの問題に気がついてのですが、私は長い間、一つの勘違いをしたまま30年以上生活してきたように思いました。それは金沢市の上荒屋という住所についてのことです。

もともと金沢市で市内配達の仕事をしていた頃も、金沢市内の地図を見るということはなかったと思いますし、トラックに地図を置いておくということを考えたことすらなかったと思いました。

Google マップ http://bit.ly/1g1A4sI ストリートビューで場所を確認しました。アパートそのものは新しい建物になっていますが、周辺の状況は昭和57年当時ともさほど変わっていないように思えました。「ジャスミン」というアパートになっているようです。

住所はやはり「石川県金沢市南塚町11−1」となっているようですが、私は昭和57年から昨日までずっと金沢市上荒屋だと思い込んでいました。

このアパートの前の道を入っていったあたりが上荒屋で、ちょっと左の方に進路を取って行くと、みどり団地になるという認識でいました。

このアパートは昭和57年の春先頃から宇出津の二つ年下の後輩が住んでいましたが、けっこう長い間たまり場のようになっていて、何度も遊びに行っていました。皆、そのアパートのことを上荒屋のアパートとも呼んでいたように記憶しています。

このアパートに行くときは8号線バイパスの松島北の交差点の方から来ていたと思います。松島北の交差点は陸橋の高架下になっていたと思いますが、野田専光寺線という主要道路と交差していました。ラジオの交通状況などでも、よく耳にしていた場所です。

平成10年当時には、松島交差点を通らずに、古府の方からちょっと地下道のようにもなっていた8号線バイパスの下を通り抜ける道を使って、みどり団地の方面に行っていました。よく通る道だったと思います。古くて昔からある道のように見えましたが、それまでは知らなかった道でした。

この道は金沢市黒田一丁目の被告訴人KYNの自宅兼事務所から、安原工業団地のS設備に向かうときにも当たり前に利用していた道だったと思います。また、みどり団地に自宅があったM君を送るときにも通っていた道でした。

金沢市みどり - Google マップ http://bit.ly/NhOi1D ← Googleマップでは「金沢市みどり」などと町名を入れて検索すると、町内の範囲を枠線で表示してくれるようです。

みどり団地というのは現在ではほとんどテレビでも聞かなくなっていますが、小さい頃から金沢にその名称で大きな団地があるということは知っていました。団地の多くの建物がかなり古くなっていたので、昭和40年代がピークの団地であったとも想像されます。

それだけ大きな団地の割に、私の周辺で、みどり団地に住んだ人はおらず、前の通りを車で通過するだけでした。

みどり団地といえば、当然に団地を思い浮かべていましたし、おそらく石川県内で最大規模の団地であったと思います。県営なのか市営なのかは知りません。他にも市内に団地はあったと思いますが、破格に大きい規模の団地だと思います。

みどり団地と平仮名になっていますが、以前は緑という漢字であったような気もします。それでも緑といえばみどり団地、みどり団地といえば緑という認識が強かったと思います。

金沢市内から海の方角に向かってみどり団地の団地の建物を通り抜けたぐらいのところで、交差点を左折し、数百メートル走った右側にM君の家はありました。家の中に入ったことはなかったですが、家の前には何度か行きました。

M君自身は車を所有していなかったというか夫婦の兼用で、おおかたは妻が使っているようでした。妻の送り迎えがあって日中がずっと妻が車を使っているようでした。

帰りも携帯電話で時間を伝えて迎えに来てもらっていましたが、家の近くを通りかかったときなどに、直接家に届けることが何度かあったのです。金沢でも田舎の方では普通かと思いましたが、けっこう敷地の広い家で、家の前の庭も広い感じでした。

家のある側の通りには民家が並んでいたと思いますが、向かい側の方はずっと空き地か田畑が広がっていたと思います。とにかく、先祖代々ずっとその場所に住み続けてきた家系のように思えました。割としっかりした家柄といいますか。

M君自身は、かなり陳腐ら丸出しのような顔つきで、ヤンキーの漫画に出てくるようなキャラクターでした。大人しくしていればそれなりに大人しくは見えていたようにも思いますが、目が細く眉毛も細くて、そうでなくても人をにらんでいるように見えることがありました。

M君はときたま父親の話をすることもありました。仲のよい関係に思えましたが、普通の会社勤めで、ゴミ回収の運転手をしているような話であったかもしれません。

どこか西金沢の辺りの川の土手沿いを走っていたときだったと思いますが、父親の車にすれ違ったとか言い、車を止めて父親の車の方に行って、しばらく話をしていたこともありました。その時も父親の姿は見かけていないですが、優しくて大人しい父親というイメージは出来ていました。

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