2014年3月12日水曜日

平成4年の控訴審公判において初めて会った被害者の父親と兄 2014年01月21日


まず七尾の被告訴人東渡好信のことですが、被告訴人のなかでもとりあえずの現段階で実名にしているのは彼だけです。被告訴人に関しては過去の段階では全てを実名で情報公開していました。なぜ東渡なのかというと、偽名の可能性も考えられるからです。重要な鍵を握る実在した人物です。

東渡好信という名前を知ったのは、市場急配センターの1階の部屋に火元責任者として彼の名前の札が壁に貼り付けてあったからです。後にも先にもそのような札を見た記憶がありません。可燃物を保管する倉庫や事務所であればあるのが普通とも考えられますが、気がつかなかったのか他には見ていない。

東渡好信が輪島のHさんと諸江のKさんの3人で、金沢市場輸送から市場急配センターに来たのは平成3年の9月に入ってすぐではなかったかと思います。9月の初めというのは間違いないですが、8月中ではなかったと思います。ただ、移動の話は8月中に決まっていたと考えられます。

これもその年の春のストライキの延長のような感じでした。7月中だったと思いますが、市場急配センターの事務所にやってきた東渡好信が2階で机に包丁を突き立て、戻ってきた被告訴人MHKを包丁を手に外まで追い回したという話がありました。

私自身、被告訴人YSNと一緒にその場にいて東渡好信が2階の事務所に入ってきたところは見ていたと記憶しています。異様な雰囲気ではありましたが、芝居がかっているとも思っていました。演技だとは思いつつも面倒なことだとは思っていました。

細かいことまで記憶していませんが、東渡好信が来てすぐに電話が掛かりました。東渡が来てから10分以内か5分も掛からないタイミングではなかったかと記憶しています。電話を掛けてきたのは被告訴人YSKでした。尼御前のサービスエリアにいるという話でした。

4トン車で徳島行きの確かスイカを摘んでいるといい、4トン車の調子が悪いとか重量が重すぎるとか話していました。そういうことならばと相談に乗り、たぶん金沢市場輸送の10トン保冷車を持って行って荷物を積み替え、4トン車を引き取ってきたように思います。

夕方明るい時間に尼御前のサービスエリアに行き、荷物を積み替えたことは体験した場面として現在も記憶しています。被告訴人YSNも同行させていました。ややこしいですが、両者の姓は同じです。全国的にもよくある名前です。3つめのNは能登、Kは金沢あるいは石川郡野々市町を意味するものです。

事務所に入ってきたとき東渡好信はずいぶんと興奮した様子でしたが、丸西水産輸送の社長が片町で射殺されたことを口走っていたと記憶しています。なにかあだ名か仲間内の呼び名のようなものを使っていました。

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