2014年3月12日水曜日

平成4年の控訴審公判において初めて会った被害者の父親と兄 2014年02月14日


2313号に初めに乗務したのも小坂さんだと記憶しています。それまで小坂さんはずっと平ボディ車に乗務していたと思います。経験や好みも大きいのですが、平ボディ車は大きなシートを掛けることが多く、水濡れも常に気に掛けないといけないので、嫌がる人も多かったです。

一方で保冷車のような屋根がないので、パレットに載った荷物や、機械などフォークリフトで積み込んでもらえる荷物も多いので、その方が良いと考える人もいたようです。保冷車や冷凍車は箱車とも呼ばれていましたが、荷物の手積みが多いです。やはりそれを嫌がる人も少なくはなかったようです。

先に山越のことについて続きを書いておきますが、山越の現場での仕事が始まった頃、天井付近でのメインのような配管の仕事が多かったです。作業に必要なものはウィンチという機械で、天井から釣り上げることが多かったです。5インチと思われる配管ですが、あるいは4インチだったかもしれないです。

4インチだと内径は約125ミリということになるかと思います。それも配管としては大きく重いものです。そのほとんどはすでに天井の方に配置されていたように記憶しています。継ぎ目などの加工した配管はウィンチで吊り上げたような記憶もあります。

山越の現場での仕事が終わりの方になった頃のようにも記憶しているのですが、初めに定尺のメインのような配管を天井付近に吊り上げたのはM君もいたそうですが、M君はその配管をミスで落下させたと聞きました。あり得ないとも思いました、重量的にもとんでもない事態が想像されたから。

金沢市入江のアンカーインについてもまだ書いておくことがあるのですが、被告訴人KYNと安原工業団地のS設備の社長が、スナック内の床にビールをまき散らすなどして、出入り禁止になったと聞きました。一度はその場にもいたようにも記憶していますが、動機は全く不明のままでした。

山越の現場におけるウィンチのことですが、普通は重量物を取り扱う工場に設置されているUFOキャッチャーのような道具を想像されるかと思います。そうではなく携帯して手動で吊り下げて使う道具でした。おそらくはレンタルのものかと思われます。重量も2,30㎏程度かと思われます。

何が言いたいのかというと建物に構造的に組み込まれ設置されたものではないので、ただでさえ人為的なミスが発生する可能性は高かったと言うことです。言い換えれば危険性も高い作業です。

配管のパイプというのは定尺で5メートルではなかったかと思います。あるいは既に4メートルと書いているかもしれないですが、ちょっとはっきりとは思い出せません。鉄筋の場合は7メートルという定尺もあったかと思いますが、混同している部分もあるかもしれません。

いずれにせよ長いものなのでバランスが大事です。4インチの定尺のパイプを20メートル上の天井付近まで吊り上げる様子は私自身、見たような記憶がないですが、2点吊りでも、相当に危ない作業であったことは容易に想像がつきます。ウィンチの操作は安定したものでも難しいところがあります。

そもそも20メートルの上までウィンチで引き上げたのも疑問に思えるぐらいなのですが、たしかにこの現場の作業では、最初の方に天井付近でメインというか一番太い配管の作業をしました。

図面か写真でもあれば説明も容易かと思うのですが、絵を描くのも苦手なのでうまく表現できません。イメージで言えば、テレビゲームの中に出てくるステージのような現場でした。鉄骨のような骨組みは4つか6つのブロックになっていたと思いますが、ブロックの間の間隔は3メートル程度かと。

この間隔は通路にも相当するものでしたが、何か昇降式のフォークリフトのようなもので、倉庫の保管物を出し入れするという感じでした。天井から床の間の空間というのも、その通路部分だけだったので、その間にウィンチを据え付けていたはずです。

階段のようなものもなかったので、骨組みの間を上り下りしていたと思います。かがんで作業していたようにも思うので一段あたりの高さは高くても1メートル50センチ程度かと思われます。最終的には一段ごと1.5メートル間隔ぐらいでスプリンクラーのノズルのような配管を取り付けたと。

この現場では他にも変わったことがありました。私たちが作業していたのはたぶん外から見ると25メートルほどの高さの建物でしたが、奥の方には平屋の工場のような部分もあって、いろいろな業者が集まった現場になっていました。

他の現場と違って親会社の監督らしい人とのうちあわせというのも私は記憶していません。小さな現場事務所があったような気もしますが、中に入った憶えもなく、作業員の休憩所というのもなかったか、利用することがなかったように思います。

ただ、朝の朝礼には何度か出た憶えがあり、朝礼に出るようなお達しも出ていたように思います。ある程度の規模の現場になると、他にもそういうことは多少はあったと思いますが、とりわけこやかましい面があるようでした。おそらくその反感や反動があったものと思われるのですが、とんでもないことが。

現場には仮設のトイレがありました。大便用のボックスで2つぐらいだったでしょうか。この数は、比較的少ない感じでもありました。小便器の方は横にあって、外にむき出しの状態になっていたのですが、ある日、その小便器に一人分とは思えないような大量のウンコがしてあったのです。

誰がやったのかという話も聞きませんでしたが、現場における特殊な空気とその積み重ねがもたらした所産のようにも思えました。他の業者の人と話をする機会もなかったので、何もわからなかったですが、ほかにはない経験の現場でした。総括の監督に対する仕返しのようなことは耳にしました。

また、上からの落下物の可能性が際立って高い現場でしたが、そんなことに関する注意を監督の訓辞から受けた憶えもなく、現場のことを全く理解も把握もしていないように思えましたが、熱弁で演説をするような光景は、朝礼で目にしていた記憶が残っていますが、内容はさっぱりです。

この山越の現場の仕事は、若宮大橋の近くのS設備の応援だったと思います。応援のようでしたが、下請けに近かったようにも思え、S設備の人と一緒に作業をした回数も、少なかったような気がします。仕事自体にも慣れていない時期で、高所では気も張り、色々と余裕のない時期でもありました。

M君がこの山越の現場にいたという記憶はないのですが、M君のことを知ってすぐの頃、M君らが4インチの配管の搬送をしたと聞きました。その際に、配管を落下させたような話も既に書いていると思います。M君に対して不信感を持っていた時期ではなかったので、さほど真剣に話しも聞いていなかったと。

あの大きくて重いパイプを落下させたという話を聞いたときは驚きましたが、どの程度の高さから落としたとか、壊れたものがあったのかという話は聞いておらず、なにも質問することもなかったと思います。おかしいと思い始めたのは、配管の漏れと検査の問題が出るようになってからです。

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