2014年3月13日木曜日

再審請求をやめ仕事に専念するか、会社を辞めるかの二択を迫った被告訴人 KYNの言動 2014年03月12日


既に大まかな流れは書いてきたと思いますが、見出しと内容の対応を重視する方針に転換したので、これまでの説明の流れがつかみづらいと思います。これからは見出しに付加された作成年月日を今まで以上に意味のあるものとして、念頭に置いて頂きたいと思います。

構成が変わったからと言って一から同じ説明を繰り返すのも無駄があるので、おさらいもしながらポイントを押さえつつも、これまでの記述の時系列に従って反復展開するかたちで、説明や事実の記述を進めていきたいと思います。

被告訴人KYNの設備工業での配管の仕事についてはこれまで紙面を割いてかなりの分量の説明を書いてきたと思いますが、まだまだ不十分なところがあります。15年以上の年月も経過しているので、当然記憶の劣化もありますが、大まかにポイントを押さえておきます。

まず彼のところで仕事を始めたのが平成9年の11月頃のことで、翌年つまり平成10年の1月頃にM君が入ってきました。その入社の経緯についてもより詳しく書いておく必要性を感じていますが、それは後回しにします。

その後、被告訴人KYNに長男が生まれました。上は女の子が二人でした。長女の方は平成2年頃の生まれではないかと思います。次女については生まれると聞いたこともなかったので、平成4年4月より後の出生であったことが考えられますが、それほど年の差があるようには見えなかったです。

長男の誕生に関しては喜びもひとしおだったと思いますが、不思議なぐらい長男のことを口にしたり、話題にすることもなかったと思います。静かに大事に育てているとは思いましたが、余り泣かない大人しい子どもでもあったのか、話題にもならず印象にも余り残ってはいません。

その長男の誕生のことでとても印象に残っていることがありました。秋の11月から仕事を始めたとして2回目か3回目ぐらいに給料をもらった頃であったようなその場の記憶もあるのですが、天気が良く暖かい感じの風景であったような場面の記憶も残っています。

あるいは仕事を初めてすぐの頃でまだ11月中のことであったのかもしれません。出産祝いということで祝儀を渡したのですが、これから世話になるということもあって5万円包んだような気がします。あるいは3万円かと思います。

被告訴人KYNはその時もあまり反応を示さずに祝儀を受け取っていました。身内の祝いという意識が強いようにも感じましたが、いくらか違和感は感じていました。彼は長男の誕生を力強く喜ぶとともに、なにか覚悟を決めて吹っ切れたようにも思えました。

今改めて考えると不思議にも思えることですが、被告訴人KYNの長男については妻がだっこしているような姿しか思い出すことがありません。半年ぐらいすれば、はいはいで動き回ったりするのではと思いますが、自ら座っているような姿も思い出すことがありません。

印象に残っていることと言うのは、弟子のような親子関係のようなつながりであったK君が、祝儀はおろか何もお祝いをしていないと、当然のように軽く笑いながら話をしていたことです。私の質問に対して答えたものであったと思います。玄関先でした。

それだけの親密な関係が築かれているのかと思うのと同時に、仕事の働きで十分に義理は果たしているような自信にも思えました。

K君の正確ですが、大人しくて人当たりも良い、口数は少ないタイプでしたが、意固地で譲らない一面もあると被告訴人KYNから聞いていましたし、私もできるだけ角の立たないように接していたこともあり、衝突は一度もなかったですが、わりと自意識の強い若者とは思っていました。

人に対する気遣いもよく出来ていたのではと思います。他の人と衝突するような姿をみたことがなく、M君のことも暖かく見守るような感じでした。しかたない、というような言葉も時々使っていたようにも思います。若い割には大人びていて、しっかりしている方だと思っていました。

K君は平成4年から被告訴人KYNのところで配管の仕事を始めたと聞いていました。不良という感じではなかったですが、高校を中退したと聞き、あるいは高校に行かなかったと聞いたかもしれません。もっと具体的な話を聞いたようにも思うのですが、忘れてしまいました。

平成4年の4月1日に私は逮捕され、平成9年の1月18日まで警察の留置場や刑務所にいました。被告訴人KYNに最後に会ったのは平成4年の3月の20日過ぎかと思いますが、細かいことは思い出せなくなりました。酔いつぶれて朝まで寝ていたことを憶えています。起きるとKYNの姿はなかったです。

起きたときKYNの姿がないことに意外性を感じたことも憶えているので、それは日曜の朝だった可能性が高いと思います。暦を確認すると3月22日の可能性が高いのかな、と思いましたが、今は自分の記憶のみでの事実の整理は難しいです。

起きると被告訴人KYNの妻と子どもだけだったので、すぐに帰りました。アパートに帰ってから近くのコインランドリーに洗濯に行ったと思います。午前中に市場急配センターに行き、シャッターがほとんど閉まって、誰もいないような状況でしたが、意外なことに被告訴人YSNの姿がありました。

シャッターは完全に降りてはおらず、人がかがんで通るぐらいに開いていたのではと思います。シャッターが降りていること自体、あまりなかったような気がするのですが、日曜日以外には考えにくく、日曜日でも市内配達で仕事に来る人の姿は、それまでにも少ないですが見かけていました。


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